2012年10月29日月曜日

人は老いても、性格のシンは、変わらない。それで、いいのだ

島原半島の入口、愛野の教会、幼稚園で写しました。何の動物か分からないけれど、こんなモノを見ると、ついつい、ボクは嬉しくなる。思わず近寄って、おお、おまえは、デカイなあ。オレは小さいぞ。思わず、手を振りたくなった。赤い帽子に、赤いお鼻。首にタオルなど、しめやがって。黄色い、ずーたい(体)に、おなかには空いた黒いアナ。子どもは、こんな所に、くぐりたくなる。身を隠したくなるのだよ。老いた背中は、曲がらないよ。そんな気持ちになった。ところで、オレはこんな所で、はしゃいで、いいのかなァ。教会を、「さよなら」するとき、ブリ神父さんが、冊子をくれた。そこには「教会の案内」で、「教会」や「神父さま」「シスター」「神さまに何を祈るか?」「ミサ」や「イエスさま」のこと、マリアさまのこと、聖書などの説明が載せてあった。なかでも気持ちを引いた1文がある。それは「神さまが、私たちのことを、どう思っているか」の疑問です。そこには、神さまは、私たちを愛しておられ、天の御父と呼ばれる。神さまは、ニンゲンの弱さや、落ち度よりも、私たちの努力や、私たちの「善意」を見ておられる、というのです。積極的に前へ進めということじゃないですか。善意に生きるとは、正しいことの実行心にある。一生懸命にやっても、失敗があるかも知れない。しかし善意を持つならば、神の前では、正しい人といえる。「私たちの一生の課題は、善に励み、罪を悔やみ、軌道修正し、いっそうの善意を育てることです」と書いてあったが、難しいですね、これは。

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