2012年10月18日木曜日

博多へ、列車で日帰り。ホスピス病棟の従兄を見舞った

突然、親戚から電話があった。久しく会っていない従兄だったが、入院しており、いま、お医者さんから「身近な人を呼ぶように」と告げられたという。私にとっては少ない親戚の従兄である。また、少年の頃からの私を知っている従兄でもある。もう60年前になるか、この従兄には憧れを持っていた。彼の話だが、「戦争中は、飛行機乗りで、当時はプロペラ機だったが、故障して、山林に激突した。それでも助かった」と、淡々と語り聞かせる従兄だった。7歳違いだったが、学生の私には、まばゆく見えた。列車で、2時間。博多の駅に着くと、タクシーで病院へ向かった。病院で、家族の皆さんが迎えてくれたのが、この写真である。従兄は、ホスピス病棟のベッドに横になっていた。目を閉じている。名前を告げると、目を見開いて、うなずいた。私は、60年前を思い出し、当時の印象を語り、飛行機の話をした。最近は会っていないので、遠い思い出を引き寄せるつもりだった。すると従兄の顔に、温かい表情があらわれた。確かな反応があった。「ああ、来てよかった」と思う。私が「どこで、生まれたのですか」と、ルーツを尋ねると、「たい・きゅう」と、はっきりした声で教えた。「たい・きゅう」とは、韓国の都市の名前だった。(当時は朝鮮と呼ばれた)。声をかければ、うなずいてくれる。むかしの、つながりが戻るのを感じた。2時間ほど病院に居て、家族のみなさんに別れを告げ、「少しでも楽になるように」と祈りつつ、その夜は、列車で、長崎へ戻った。