2012年10月1日月曜日

外海・黒崎の従兄が他界。出かけます。88歳、安らかな死

外海の従兄、福松さんが神に召された。88歳であった。福松さんの思い出は、戦争中に、黒崎の農家で、電気はなく、カンテラを灯して、私より4つ年上の彼が、漢字や算数を独学で学んでいた。そのうち、軍人勅諭を覚えることになる。この文面は、長いものであった。彼はそれを全く、全文覚えて入隊した。彼の誠実さが認められる。部隊はビルマ戦線の激戦地へ向かった。ほとんど全滅する。しかし誠実だった福松さんは、その人柄を買われて、部隊長付きになる。そのため幸いにも生き延びて、復員した。戦後は、村の役場に定年まで勤めた。私が福松さんについて、感心することが幾つかある。①その第1が、ヴィンセンシオ会を最後まで勤めたことだ。戦争が終わって間もなく、黒崎に、長崎から片岡弥吉先生が来られて、ヴィンセンシオ会を勧めた。これは信徒が活躍する福祉の会だった。②第2は、2000年の黒崎教会大改修に努めた働きであった。最初から完成まで、工事や寄付や、すべての記録をまとめて出版した。建築学的にも貴重な資料になっている。大学から声もかかる。③第3は、やはり信仰であろう。結婚し、1男3女に恵まれる。夫婦で朝夕、祈りをとなえ、ミサで祈り、教会の務めに熱心だった。この3ヶ月ほど病んで、全く痛みは無く、最後は、無意識のうちに、両手をいっぱいに差し出し、高く上げ、思わず、まわりの人が「天国が、見えるね」と叫んだ。答えはなかったが、それから間もなく神に召された。こんな幸いな死に方があろうか。福松さんの家は、私の父親が生まれた家でもある。座敷に、ペトロ福松さんは眠っていた。小崎修道士と、橋口修道士と、松下修道士の3人は、福松さんの前で、ロザリオを唱えて、冥福を祈って来ました。