2012年10月20日土曜日

博多へ。従兄は神に召される。永久の冥福を祈った

ホスピス病棟に従兄を見舞った次の夜に、電話がかかり、従兄は、「神さまに召されました」と告げられた。「え?あれほど、話も、応対も、してくれたのに」と唯、ただ呆然となる。「私が、来るのを、待っていたもかも」と、そんな話まで後で出た。こうして従兄は91歳の生涯を閉じた。急ぎ博多へ出かけ、お通夜と、次の日のお葬式で、お別れをし、安息を祈った。司祭の追悼のミサでのお説教は、私には、次のように聞こえた。「故人は、いろんな遺品を残したでしょうが、物ではなく、もっと大切な精神的なものを残しているはずです。それは何であるか、考えるべきです」と。この文言は、故人を送るに当たって、誰にでも言えることだろう。従兄は、私と同様、身内が少なく、苦労して育っている。だから彼の唯一の願いは、温かい家庭、家族を作ることだったであろう。それが、ごらんの通り、写真・上のように沢山の子どもさんや、孫さんや、ヒイ孫にも恵まれ、本当に幸せで、また従兄自身、優しい心の持ち主だった。みんなから慕われ、家族の人たちは、ナミダ、涙に、従兄を見送った。ミサのとき、棺(ひつぎ)の上には、長剣が置かれていた。戦後は、航空自衛隊に務め、ニ佐にまで進級した。そのための軍刀だった。ミサの後で、棺には、お花と共に、背広や、帽子、心のこもった品々が入れられた。私は、そばで、悲しみの目で見つめていた。私と従兄は、戦後の混乱のときの思い出につながっている。長い歴史を持つ人との別れは、辛かった。また、寂しくなる。彼の霊名は「ヨセフ」。私の胸に刻んだ。