2012年10月24日水曜日

島原(オバマ)温泉へ。ひさしぶり出かける。教会へ寄る

車を、島原(オバマ温泉)へ走らせる。途中、半ばごろに、見えるのが、丘の上に、小さな教会である。戦後、建築家、鉄川与助さんが最初に建てた教会。これまで訪ねたことがなかった。「よし、いつも、この道はお世話になって、あの教会を眺めている。今日は、寄って、礼をつくそう」と、車で登る。幾つかの建物がある。幼稚園、教会、シスターの修道院。司祭館。「オーイ、神父さんは、居るかーァ」。叫び続けていると、「ハーイ、ここだよ」と、幼稚園の建物から出てきたのが、この神父さんです。「わたしは、ブリ神父です」「ああ、知っているよ」。おサカナの、ブリ。まだ、鯛(タイ)には、成れません、が神父さんの自己紹介。お国は、ポーランド。「おお、ポーランド、10回行ったよ」。すっかり、ブリ神父さんと仲良しになる。「ニッポン、来たのは、いつ?」「むかし、若いとき、神学生で、来た。上智で勉強した。司祭になるのは、遅かった。ポーランドのお母さん、泣いたよ」「おお、息子よ、おまえ、いつ、司祭になる?お前の同級生、皆、もう司祭になったよ」。ブリ神学生は、パパさまが日本へ来たとき、パパさまから浦上天主堂で、司祭になった。1981年2月だった。「そのときポーランドから、お母さん、来ました?」「いいえ、来なかった」「だったら、親戚、居ない。寂しかったね」「いいえ、寂しくない。ポーランド人、3人居った。1人、パパさま。1人、枢機卿。1人、大使館の偉い人。これだけ大丈夫でしょう、ハ、ハ、ハ」「ポーランド、帰りました?」「おお、ある年、帰ったとき、大きなお祝いあった。何ですか、これ?これは、あなたの司祭銀祝のお祝いだよ、ハ、ハ、ハ」。ここで、ちょうど、昼ごはんの時間になった。「いつも自炊だが、お客さんが来たとき、チャンポンだよ。行きましょう」。長崎チャンポンと、ギョーザを食べた。ブリ神父は別れるとき、言った。「平和、ヘイワだけ、足りないよ。主のヘイワ。これです。わたしは悪かった。許してください。私も許します。ヘイワは、許しに、ある」「分かりました」と、温かい気持ちで、更に車を走らせ、定宿の富士屋さんへ着いた。その夜の泊まり客は、私が1人だけだった。車を運転してくれたのは、白浜さんです。私を降ろして、長崎へ戻った。その夜の食事に、牛肉のテンプラが出た。「ああ、オレは生きているぞ」。温泉に入って、「主の、ヘイワを」と、心中、思った。