2018年6月6日水曜日

古い写真を見つけた。修道士の農作業。苦労多し頃


古い写真が見つかった。写真の裏に「1955年5月、長崎修道院の畠仕事」とあり、修道士の霊名だけが記されている。戦争が終わって、10年が経った時の修道士の労働です。場所は、ルルドへ登る坂道の左手側、現在はロザリオの玄義のレリーフが、1留、2留、3留と立っている、あの場所です。当時は畑で、農作物を作っていた。食料が不足の時代でしたからね。修道服を着たままの作業ですよ。汗と、埃まみれになり、厳しい仕事でした。
★「神さまの為に働きたい。自分を捧げたい。神さまのことが好きです」。そんな真っ直ぐな思いから10代終わりから、20代前半の若者たちが集った。気持ちは本当に最初は純粋でした。だが神に一生を捧げるのは難しい。長い人生には、迷いもあれば、疑いも起こる。それを乗り越えて人生を貫くのは、大変な勇気と忍耐と決断が入ることです。
★写真の裏に、書かれた修道士の名、1人は「ボナベンツラ」と記されている。今年の4月、ボナベンツラ修道士さんは、91歳で神に召された。ホーム「聖フランシスコ園・事務長」を勤めたこともある。幼稚園勤務で、バス運転や環境整備に尽力した。園児たちから親しまれる。「継続は宝なり」というが、神に助けられての人生であっただろう。長崎修道院には、司祭よりも修道士の数が多かった。ポーランド人の修道士も健在だった。
★私たちは、彼の事を短く「ボナさん」と呼んだ。ボナさんが召されて、修道会・日本管区(60人が居る中で)、最年長者は、大曾神父さん、91歳となり、次がトマ修道士の90歳となった。次に2人入れて、5番目が瀧神父さん(87歳)になる。
★1955年5月、写真の当時、私は何をしていただろう。修道服は着ていたが、病気療養で、小長井町の山中の修道院で暮らしていた。まだ誓願は立てていなかった。誓願を立てたのは、それから10年後の1965年3月になる。修道士だが、農作業の苦労を知らない。この写真を見ると、私は病気の苦労はあったが、楽な道だったのか。なぜか、私の心は痛む。