2018年6月25日月曜日

叱りとばしていた中3の頃の思い出。そうか、な?

今年の1月、ポーランド国外務省から名誉勲章を貰った時に、NHKのニュースに出た画面です。次の説明があった。「17歳の時、被爆した小崎さんは、原爆によって家族を失った後、昭和初期に長崎で布教活動を行なったポーランド人のコルベ神父が、長崎市へつくった修道院へ入り、50年以上にわたって修道士として、コルベ神父の生き方や自らの被爆体験を伝える活動を行なってきました」
★左の写真は、小神学校入学当時の、昭和21年春、中3の同級生たちです。私は中1、13歳から病気で、回復後は爆弾作り工場の工員だったので、中3で、18歳でした。後列の一番左、メガネが私です。
★当時、どんな中学生だったのだろうか。自分で書いたのでなく、後年、同級生の1人が書いた記事が残っている。それを今日は書いてみます。
★「田川幸一(小崎)の最初の記憶は、炊事場と小神(学校)の食堂の間の空き地で、ジャガイモをむきながら、中1を叱りとばしていたことである。以来、彼の姿の焦点は、いつも下級生を叱りつけているところに定着する。しかし彼ほど下級生に慕われたものも少ないのは不思議である。彼の得意は、理数科。彼に頭があがるものはなかった。それに字がうまかった。ペンでも、毛筆でも、もってこいだ。彼はよく下級生にスズリの水を汲ませたあげく、「よし、そこにおいて、さっさと出て行け」とシリをけとばしていた。M(のちに神父)など、この手で何度もけられた組である。負けん気で、卒業の時、優等賞をボクにさらわれて、口惜しがった。他の賞状で、机を叩いていたのを、昨日のように思い出す」
★シリを蹴飛ばしたのは、「ホントウか」と思うが、日頃の態度が好ましくなかったので、先生から見込まれず、優等賞は逃した。他の賞を貰ったのは覚えている。戦争をくぐり抜けた9人の同級生だったが、神父に残った者は3人、私が修道士として残った。テレビに、こんな写真が出るとは、本当にびっくりしたよ。