静かな日曜日。朝、ミサの司式、お説教は、瀧神父さんだった。大きな声でのお話。「人の苦しみ、痛みには、2つある」というのが出だしだった。「2つ」というのが興味をそそる。お話の内容は、トマが理解したのは、こうだった。
★「身体的な苦しみと、精神的な苦しみ。後者の方が痛みが大きい。それを理解するには、聖書を読み、又、イエスの生涯は、どうだったのか、それは苦しみの連続だった。『この杯を我より取り除き給え。されど我が意のままにあらず。御父のみ旨のままに』受けられた。私たちも、主に従わねばならぬ」
★朝食・食卓での話題は、熊本の球磨川の氾濫だった。大変な被害があった。瀧神父さんに「今朝のお説教、良かったよ」と言おうか、ノドまで出たが、黙して語らなかった。
★昼食の食卓で、最後に、トマは思い切って言った。「瀧神父さん、今朝の話は良かったよ。話にムダがない。教会に行って、求めるのは、癒しでしょう、安らぎ、よし又、ガンバロウの元気でしょう。修道士も信徒もそれが欲しい。答えの原点は、聖書であり、イエスの生涯にある。主も苦しまれた。血を流された。自分も、一滴の汗、一滴の血をながそう。それで、やる気が出てくる、癒される」
★瀧神父さんは答えた。「トマ、時々、意見、言ってな。説教は、15分。だんだん10分と、短くなる。ハ、ハ、ハ、難しいよ」
★「不幸であっても、苦しみの意味を見い出して、今、有るのは幸いと、感謝する。それが宗教の基本でしょ」。トマは、そう思う。
瀧神父さんのお説教を共有くださり、
返信削除ありがとうございます。
トマさんが聞かれたとおり、人の精神的な苦しみは
重く、肉体をも蝕むものです。
教会の安らぎは、特別ですね。
今は、信徒にも遠いミサですが、こうして
トマさんが発信くださることで、繋がりを
感じていられます。
主も苦しまれたとおり、自分もならおうと、
一滴の汗、一滴の血を流そうと粛々と努めます。
そこから、なかなかやる気、元気にまで持って
行けないことが多いように思いのが、
また苦しみになっています。
苦痛により学ぶ毎日を幸いと感謝いたします。
トマさん、今日もありがとうございます。
写真は、お庭の花ごしのマリア像とホームですね。
返信削除素敵な構図です。日曜日に相応しい画像と感じました。
瀧神父様のお説教のお話有難うございました。
返信削除イエス様に癒され癒す人になりたいと思いました。
お説教は短い方が言葉が残り心に響く事が多いです。
九州の水害を心配しております。
祈りのうちに