2020年7月13日月曜日

赤羽に住んだ頃の写真。老いの事など考えない。今は懐かしい

ちょうど、50年前の写真です。
「誰か?、って。わかるでしょう」。こんな時代も有ったのか、思います。東京・北区の赤羽カトリック教会の前です。教会の隣に、「カトリック・グラフ社」があり、そこで編集の記事を書いていました。
★よく働きました。残業もあったし、徹夜もしました。やる気は有ったが、カラ振りばかりですね。打っても、1ルイ打ぐらいかな。それでも自分では満足して、4年間を勤めました。自分にとっては経験と、社会の1部も知ったし、楽しい時代でした。
★書いてきたことは、人と人との、ふしぎな縁(えにし)です。それを意識している。めぐり合わせがあって、人は幸せになる。幸せを見つける。そこに、ふしぎな、おもしろさ、喜びがある。そう考えて、何とか努力はしました。
★仕事が一段落ち着くと、自分で「焼きそば」を作って、食べた。おいしかったな。いまでも、あの味、忘れない。1ルイ打者でも、満足した。1つの小さな話でも、人を慰め、励ますことが出来れば、自分に幸せは戻ってくる。出会いも沢山ありました。東京で、原爆の検診に行ったのは、板橋の病院でした。
★あれから50年が経った。いまは、ホーム暮らしです。仕事から離れて6年になる。最近は、老いると共に、腰の骨が痛み出した。80年前に「背骨のカリエス」を病んでいる。背骨を支えている「腰骨」が耐えられなくなったのか。ちょっとした事で骨身にこたえる。いまでは、この写真の姿は、遠ーィ、夢のような出来事になった。赤羽教会や、修道院のことは忘れない。近くのボーリング場にも、よく行きました。
★ミサで、聖体拝領へ行くにも、杖をついています。真っ直ぐ、歩くのが危ない。ステントを入れた左・腎ゾーも、時折、チク、チク、痛む。7月末には、ステント入れ替えもあるので、ガマンしよう。そんな毎日です。
★バリ、バリ、働いていた赤羽が、思い出の地です。あの頃、祈りは忘れなかったか。老人たちの苦しみを感じたことがあったか。イヤ、イヤ、老人なんて、そんな老いの話は、遠ーィ、先の、他人の出来事としか考えなかった。人間には、壮年があって、老年があって、痛みがあって、アタマも老いて、そう成るのです。老いを見詰める日々に、生かされていることを感謝し、過去には満足し、安らかな気持ちで暮らしたいと思います。
★午後から、来客がある。早めに「日記」を書きました。

2 件のコメント:

  1. 聖堂前の写真に、感動しました。人間が辿る生・老・病・死を教えられます。受洗は、赤羽強会でした。

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  2. がぶらってぃ2020年7月16日 22:48

    はつらつとした赤羽時代のトマさんは、今のトマさんの中にも存在しますね。写真の中からこちらに語っておられるようです。

    人は、目だけは変わらないと聞きますが、やはりトマさんの目の輝きはトマさんだけのものですね。行いでは、グラフ社で広め伝えてこられたことを、インターネットの時代になり、こうして日記という形に乗せて飛ばしてくださっています。がぶらってぃには、道は素直に伸びていて、それも皆が繋がりやすいように、しっかり石畳になっているように見えます。

    赤羽では、残業も徹夜もされて、一般社会に濃く触れながら暮らし祈っておられたのですね。昭和40年代の中頃でしょうから、通院で赤羽から板橋に通われている間にも、多くの民の生活をご覧になったでしょう。その時の思いや願いも書き残していらっしゃるものと思います。

    残業や徹夜で体を酷使することは、神から預かる体を大事にしない行いとして戒められるべきことなのかもしれませんが、がぶらってぃは、人生のある一定の時期には、自分に課すちょっとした無理みたいなものを受け入れて頑張る体験も必要だと思っております。そんな熱意の体験があった人には、形は色々ながらそれなりの恵みがもたらされているのを見るからです。

    トマさんは仕事を離れたとおっしゃいますが、修道院などでの実動的なお仕事のことを言っていらっしゃるのでしょうね。インターネットの先からながら、祈りの姿やなさりようによる導きの全てを神から与えられた任務として、がぶらってぃを救ってくださっていることはどうか信じてください。

    トマさんとお目にかかり、たくさんのお話を伺ってみたいと願っています。トマさんの思い出の吸い取り紙になりたいです。

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