2020年7月11日土曜日

暮らしの部屋。我が心身を見詰める日々。助けて下さいの祈り

週に、1度。水曜日に、職員さんが自室の清掃をしてくれる。ありがたい。掃除機をかけ、モップで拭いて、ベッド横のゴザを濡れた布巾でぬぐってくれる。お世話になって、日々を暮らしている。誰かの手にすがらないと、生きては行けぬ。そういう老いの身になった。自分に出来るのは、感謝の心を表現することだろう。ガマンも必要だ。もう「若さ」には、もどれない。老いに耐えるしかない。
★入口から、窓の方を見ると、こんな風景になっている。窓のソバに、椅子。その前にパソコンがある。この椅子に午後から座って、日記を書く。手前にも、黒い椅子があるが、これは客用の椅子だ。コロナになって、訪ねる人は居ない。禁止されている。ホームでは、外部の人との接触に気をつけている。老人ホームは、感染を恐れる。当然です。私たちは、守られて、日々暮らしている。
★昼食は、ナスとひき肉いため煮、長崎サラダ、エビとナメコのスープ、メロンだった。左上の、チャンポン麺が入っているのが、長崎サラダか。
★日々の「日記」の内容も、ムリはしたくない。浮かぶことを、感じることを、平凡に書く。もう、その歳になったよ。長い人生を歩んできて、立派な話も沢山ききました。自分の心身に、どれほど反応があったか。ただ、ただ人間の弱さを感じます。ホントに弱いよ。表面はリッパに見えても、内面では、汚れて、悩んで、迷いが渦巻いている。それがナマ身の人間やと思います。そこに「助けてください」「赦してください」の祈りが湧いてくる。

1 件のコメント:

  1. がぶらってぃ2020年7月12日 14:31

    こうして改めてお部屋を拝見しますと、広くて明るい場ですね。配置により、休息の場所と、考え、祈り、働く場を程良く繋ぎ、分けている様子もよくわかります。

    最近の一般的なホームでは、腰窓が多く、建築計画の段階からベランダがないような構造になっている所が目立つようですが、トマさんのお部屋は、窓が大きいので足元まで外光が入りやすく、消灯していても深くまで明るさが広がりますね。

    是非訪問させていただきたいと願っております。が、まだまだ感染症対策は厳重に続けねばなりません。開放の時を待ち望みます。

    献立の共有もありがとうございます。長崎サラダは、最初、どのようなもの?と思いました。ちゃんぽんの麺が使われていて、長崎サラダなのですね。春雨など、何かの時に残った麺を何でも使ってみれば、口当たりを工夫した、するすると入りやすい一品が用意できそうと思いました。

    トマさんの日記ががぶらってぃの救いとなっている理由の一つには、トマさんが折々の思いや気持ち、願いを流さずにしっかり受けて、深め、書いて表出くださることがあると思います。暮らしの中でわき起こる感情や願い、思いや祈りを、時に流されて深められず哲学できないでいる時、苦しい思いが堆積してやがて粘土層のようになって固まってしまうものですが、そこに気付かせてもらえます。粘土層を溶かし、流し、軟らかく使えるものに導いてくださいます。

    トマさん、今日も多くを和らげていただきました。ありがとうございます。

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