2013年5月6日月曜日

韓国への旅・6日目。聖堂でミサ。長崎巡礼と李・大司教さま

大邱(テ・グ)の司教座聖堂で、ミサで祈る。戦争前の聖堂が、そのままの姿で建っている。桂山聖堂。ゴシック様式聖堂で、史跡に指定されている。信徒はイッパイ。全員が歌い、大声で祈り、そのすさまじさは、圧倒される。ああ、長崎にも、こんな情景があったなあ。カトリックのふるさとが、ここにあった。日曜日には、朝から夜まで、8回のミサがある。いつも満席だ。皆は、司祭につながり、司祭はローマにつながる。イエスにさかのぼる。時代は変わっても、信仰の教えは変わらない。★昔からの聖堂だ。聖体の聖櫃がある。十字架。ステンド・グラスの美しさ。聖体ランプがさがっている。説教台もある。韓国の信徒は、500万人。大邱教区は、43万人の信徒が居る。司祭は、450人。引退司祭が、30人。李文煕・大司教さまも「わたしも、引退だよ」と言われた。★この度、招待してくださったのは、李文煕大司教さまです。2007年に引退された。李文煕大司教さまは30数年の現役中に、さまざまな業績を残された。毎日新聞社をつくる。カトリック大学、大学病院をつくる。黙想の家をつくる。信仰面にもチカラを注いで、信徒を、長崎へ、長崎へと、巡礼に送り出した。李文煕・大司教さま自身が、100回、200回と長崎に巡礼されている。「なぜ、そこまで、されるのですか?」と、李文煕・大司教さまに尋ねた。すると、こう言われた。韓国教会200年の祭りがあり、1984年5月に、ヨハネ・パウロ2世教皇さまが韓国を訪問された。信仰を盛り上げようと、日本への巡礼を考えた。最初に、日本へ行ったのは、クルシリオの信徒達です。次々に巡礼した。有名なガイドの権さんは、150回は皆さんを連れて行ったでしょう。彼はガンで亡くなった。後では信徒たちが巡礼するようになった。その中で、永井隆先生の生き方、信仰に敬服し、見習うように皆さんに広めたのです。韓国語で、永井先生の本も出版した。日本語にも訳された。ドイツ語にも訳された。韓国にも、永井の如己の会も誕生した。会員は100人以上居ます。小崎修道士を招待したのは、李文煕・大司教さまであった。小崎修道士が韓国入りを果たしたとき、残念ながら李文煕・大司教さまは入院しておられた。しかし数日のみ、外出をもらって、看護師さんが付いて、自宅に帰ってきた。その夜、自宅に招待されて、家庭の料理をご馳走になった。李文煕・大司教さまは、小崎修道士を「聖コルベ館の奉公人」と称して、親しくしてくださる。今度も、招待された。自宅での楽しい語らいがつづいたが、最後に、小崎修道士は、テープ・レコーダーを回して、音楽入りで、「長崎の鐘」を絶唱した。拍手喝采で喜ばれた。李文煕・大司教さま、健康に気をつけて、いつまでも長生きしてください。★李・大司教さまのお宅マンションで、記念の写真を撮った。左から、小崎修道士、李・大司教さま、白浜忠美さん(長崎出発から、介護・付き添って、荷物を運んだり、手伝ってくれた)、後ろが、崔・教授です。★大邱のホテル。Eldis Regent Hoter(エルディス・リージェント・ホテル)。大邱の市街地図を見て、桂山聖堂の最も近いホテルを選んだ。正解だった。