2013年5月5日日曜日

韓国への旅・5日目。ルルド聖母堂の崔・大司教の説教

大邱教区のタデオ曹煥吉・大司教さまは、永井博士の作文コンクールで、小崎修道士の話を聞いてくださった。写真が、その曹・大司教さまです。その次の日は、日曜日でした。教区本部に、ルルドの聖母(野外)堂があります。大きな、立派なルルドです。何人もの信者が、常に祈っています。写真・中央が、そのルルド聖母堂です。灯明を捧げ、信者に混じって、祈りました。白浜さんと1連を唱えました。★5月5日の日曜日、夕方、ここで教区主催の祈りの集いが行なわれた。下の写真が、そうです。2.500人の信徒が集まった。まずロザリオが熱心に称えられる。その後で、曹・大司教さまによる司式の、ミサが行なわれた。大司教さまの説教のなかで、韓国語はもちろん分からないが、次の単語だけは、はっきりと分かったのです。「長崎」とか、「小崎修道士」、「永井隆」、それに「マキシミリアン・コルベ神父」など、繰り返し、度々言葉が出ていたので、ああ、昨日の講演のことか、と思った。割と詳しく語っておられる。崔・教授の通訳によると、「小崎修道士が長崎からいらっしゃった。永井隆先生について話した。コルベ神父と、永井先生は親しい関係がよく分かった」。その後で、おまけも、あった。「いま、日本は再軍備の動きが懸念される。日本の武装が心配になる」と語っていたそうだ。いずれにしても、昨日の小崎修道士の話が、ルルド聖母堂の祈りの集会で、大勢の信徒に紹介されたのは、ありがたいと感謝の心が湧いた。★教区本部には、聖職者の墓地がある。ここには、日本人の司教、早坂司教の墓地もある。長崎の早坂司教の弟さんで、韓国に司教として着任されたが、戦後、間もなく、ここで亡くなられた。墓地で、祈りを捧げた。早坂久兵衛・主教。1888年12月16日、宮城県仙台に生まれる。1942年12月25日、主教叙階。1946年1月7日、帰天。★聖職者の墓地の門に、次のラテン語の文字が、両脇にあった。「HODIE(今日は) MIHI(わたしに)CRAS(あすは)TIBI(あなたに)」。今日は、オレは死んで行くが、明日は、オマエだからな。覚悟をしておきなさい。 
 

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