2013年3月31日日曜日

主の復活の朝です。ニンゲンにチカラと希望がわく朝です

主の復活の日です。ミサとお祈りが終わって、朝の食卓に、外部から、復活のタマゴと、お菓子の差し入れがあった。タマゴは、カラを破って、イノチが誕生する。「主は復活された。アレルヤ」。喜ばしい朝ですね。司祭は、ミサのお説教で、「信じて、つながる、今」を強調していました。弟子たちが、主イエスの復活を信じた。それが、つながって来たから、今の私たちの信仰がある。広い意味での信仰を認める。確かに、そうでしょう。主が、寄り添ってくださる。どんなに孤独であっても、主が、ソバに居てくださる。それを信じ、受け継いできたのが、信仰です。それだけで、いいじゃ、ありませんか。主イエスが十字架の上で亡くなったままで、それで終わりなら、こんなに惨めな結末はない。実際、主の復活の体験で、弟子たちの心はバクハツし、キリスト教は成立しました。ミサのとき思いました。「よくぞ、まあ、このミサが、2000年も、代々つづいて来ました。ニンゲンの仕業では、考えられないよ」。自分の信仰は、小さい。受け継いで、流れてきた信仰は、絶大です。ニンゲンに希望が湧いてくる。惨めなニンゲンに、生きるチカラが燃えてくる。「今どきのニンゲンは、誰も彼も、多弁になり、しゃべり過ぎている。主張すぎる。カッコよく、見せたいんですね。少しは黙って、人の話を、聞こうじゃないか。自然の声を、神の声を聞こうじゃないか。復活の朝は、姿を追い求めるのでなくて、黙って、寄り添い、息づかいを感じる時だと思います」