2013年3月16日土曜日

大阪の田川幸一君が、来る。「大きくなったな」。大歓迎だ

大阪に、田川幸一という少年がいた。お母さんが、ネットで、この名前の人物を検索していると、聖母の騎士の「田川」修道士が分かった。早速、電話をして、家族で訪ねて来たのが、2006年の春休み、幸一少年が、小学4年のときだった。(写真・上)。あれから7年の歳月が流れている。幸一少年は、高校生になり、カラダも背が伸びた。「春休みに、来ます」という。「おお、待っているぞ」。費用をかけずに旅行を計画し、来る時は、青春キップ、大阪から長崎まで、ドン行で、乗り継いで、やってきた。朝、6時30分に大阪を出て、夜の11時4分に長崎に着いた。赤尾院長・神父さんと出迎えに出る。列車が着くと、真っ先に、ニコニコしながら姿をあらわした。ヒトなつこい、誰にでも親しく話しが出来る高校生になっていた。(写真・下)。「久しぶりだな」。その夜は、修道院の暖かい部屋に宿泊した。★次の日、院内の食堂で、修道者たちと朝食をとる。皆さんから大いに歓迎される。午前中、小崎修道士と、東長崎の教会を見学、信者さんたちがロザリオを唱えていた。次に、ペンギン水族館へ行く。かわいいペンギンが沢山いる。幸一君も、アジの魚のエサを、ペンギンに直接に渡して、満足していた。心の優しい幸一だった。次に、回転寿司に入り、昼食をすませる。長崎のサカナは新鮮で、ネタがいい。ハマチ、アジ、タイ、ヒラス、ヒラメ、それに、大トロを食べた。満足して帰る。午後は、大水神父さんが、3人の志願院生(高校生)と共に、船で、軍艦島見物へ出かけた。廃墟になった炭鉱で、見学者は、100人ほど大勢がいた。普通には見られない光景だった。夜は、院内で、修道者と一緒に夕食をとった。1997年3月の生まれ。その2年前の1995年は、阪神・淡路大震災が起こり、サリン事件も起こった。結局、少年にとっては、戦争も、原爆も、歴史でしかない。小崎修道士は、実際に原爆を体験しているから、ナマの声で聞いたほうがいい、そういう談義になった。夕食の後で、幸一は、志願院へ遊びにいって、高校生たちと語らったという。そういう積極性が、小崎修道士には嬉しく思えた。ふしぎだと思うよ。同姓同名の少年が訪ねて来て、仲良しになった。孫のような少年だ。小崎修道士は「田川幸一・本名」を使うことは殆ど無いが、少年に言い聞かせた。「田川幸一は、いい名前だよ。オレは好きだな。真ん中から折れば、きれいに重なるからね。すっきりした、いい名前さ」「ハイ、ハイ」と少年はホホエミ、うなずいていた。