2018年4月27日金曜日

北南の歴史的握手。被爆者の我、核のない平和を望む

懐かしい写真を載せます。80年前の北朝鮮、羅津の末広町です。私が育った町です。北朝鮮で生まれ、何回か転居し、南朝鮮にも住みましたが、小学生の頃は、ここ(矢印)の家に定住しました。13歳のとき、この家から、長崎へ引き揚げました。
★北朝鮮は私にとって、生み、育てた場所です。人生に於いても、心的に大きな影響を受けました。現地に住む朝鮮人たちへの差別、軍国的に走る日本の教育の中で、子供であっても心を痛め、それでも伸び伸びと過ごしていました。現地で父を病死させたに後は、母1人子1人の生活に苦労をもたらした。気丈に商売に励む母親が一番大変だったと思います。母は、わが子を愛し、守ったんですね。いま「おかーァさん」と叫びたい気持ちです。
★今日は、テレビで、北朝鮮の金委員長と、韓国の文大統領が、板門店で、歴史的な握手を交わした場面が終日、報じられた。テレビを見ながら、思いました。「北朝鮮のカトリック教会の司祭や信者たちは、どういう状況にあるのか」「北朝鮮の人たちは、自由を奪われ、貧困にあえぎ、病気に苦しんでは、いないか」「今年の冬は厳寒だった。冬の寒波を知っているだけに、庶民は厳しい冬を乗り越えることが出来たか」「自由がないのが、一番恐ろしい。閉じ込められ、抑圧され、強制される悲しい人は居ないのか」「人間の尊厳を生きることは可能なのか」
★人は自分から望んで、この世に生まれた訳ではない。それが「自分」を意識するようになって、家族や周りの人びとの愛に包まれながら、夜空を見上げれば、宇宙の広がりまでも知って、自分の可能性を生きてきた。北朝鮮の家はもう手に届かないが、己の流れは、ここから始まった。あの北朝鮮の町で生まれた少年は、どんな人生が待っていたのか。「生まれたからには、人には、それぞれ役割がある。役割があるから、生きる意味もある」
★80年前の少年は、鉛筆と消しゴムとマンガ本しか知らなかった。今の子供は、素晴らしい器具を操作して生活している。その変貌に唯々驚く。今の子供が、80年後、どういう世界に生きているのだろうか。想像も出来ない。