2018年4月12日木曜日

「共に、祈る」も必要だが、「一人でも、祈る」心

きのう、おじゃましたシスターのチャペル。玄関を入ると、「先ず、聖体訪問を」と声をかけると「では、こちらへ」と、左側の扉を開けた。長い廊下があり、数歩、足を交わすと、静かな空間があった。
★皆さんに会う前に、ここで、しばらく黙して祈る。一瞬、多くの女性たちが、社会生活の総てを置き去りに残して、この場に入った召命に、心が動いた。
★シスターたちの祈りのパワーが、どよめいているのを感じる。ここに居たい、そんな気持ちも胸に湧いてきた。
★「共に、祈る」も必要だが、「一人で、祈る」。これも神との対話になる。祈ると、何んだか、不思議と心が「しーずかに」沈んでいく。祈りは呼吸かも知れない。コルベ神父は常に「マリア」「マリア」と呼吸していたという。質素な祭壇には、無原罪のマリア像があり、均等の聖ヨセフ像がある。「イエスの聖心」。忘れてはならない。そして十字架が有る。
★神は何を私に望み給うであろうか。生活苦の忍耐か。隣人に温かい声かけか。死者のための想いか。

1 件のコメント:

  1. マリア・フランチェスカ2018年4月12日 15:21

    今日の日記も心に響きました。
    いま聖母の騎士5月号が届きました。
    90歳の修道士・ホームで祈る
    「愛の花びらはいつまでもわすれない」
    小崎さんの記事は何年ぶりでしょう。
    嬉しく嬉しく拝読致しました。
    ご体調を見ながら
    連載される事を願います。
    瀧神父様のカトリック新聞の寄稿も楽しみにしております。
    聖フランシスコ園からの発信
    お二人がお健やかで
    神様の為に働かれますよう
    お祈りしております。
    喜びと感謝のうちに

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