2013年6月16日日曜日

広島へ。3日目。教会での祈り。分からない事が一杯ある

日曜日。広島の教会で、祈った。祈りの中で、目をつぶって、心にひびく、1つの声を、かみ締めていました。信心は、してきたけれど、信仰の真髄は、まだ「よく、分かって、いない」。それは、誰にとっても、同じでしょう。何が、分からんのか、分かっていないのかも、しれない。信仰は、信ずるというダケに、不安定な心です。ある時は、近くなるが、ある時は、神から離れていく。ニンゲンとは、そういう不安定な存在でしょう。求道をしても、そう簡単なものでは、ない。神さまが居ることが、分からない。神さまの傍に行けるか、自分は、それに、ふさわしい者であるか、分からない。聖書の中に書いてある出来事も、本当か、わからずに、悩む。洗礼を受けて、お祈りも、して、リッパなお話しも聞いてきた。聖書の勉強も、してきた。黙想会にも参加したし、巡礼にも、行った。感動は、するが、自分との距離が、ある。スキ間がある。ニンゲンは過去はよく分かっているが、将来も、分かりたい。その望みは、あるように思います。そう思いながら、祈りました。「分からない」と思うことは、マジメじゃないでしょうか。所詮、神さまの事は、真には、誰にも、分からない。「分かっている」と自信げに言うの方が、怪しい。それについては、教えを、素直に、信じるしかないのです。それが信仰です。それでもニンゲンは迷うのです。厳しいですね、ジンセイは。ホントに。いつまでも満足はしないでしょう。