2013年1月4日金曜日

昨日の娘さんに参ったな。修道士も、タジタジ。ワイルドだぜ

新しい年になって、こんなことを考えていた。人生に、あるべき幸福な姿とは、何か。それは何と言っても先ず、①「家族愛の喜び」でしょう。子どもが居って、孫がいて、かわいい、かわいいと喜びが一杯ある、その愛のイメージ。そこに幸せが有るでしょう。次は、②個人の「才能を見出し、花開かせる喜び」。人には、どのような才能が与えられているか、わからない。それを発見して、伸ばして、完成させていく。これも人生の大きな幸いでしょう。そして、もう1つ有るんです。それが、③「他者へ奉仕する喜び」です。自分を少々、犠牲にしても、他者の幸福のため尽力を尽くす幸せ、そこにも言い知れぬ幸いがある。しかし人生は決して平坦ではない。苦難があり、挫折があり、落ち込むことさえ起こる。まさか、まさかの連続が人生だ。「なぜ自分だけが苦しむのか」「死にたい」と、苦悶する日々だってある。そのように考えているとき、昨日の18歳の娘さんがやってきたわけだ。1問1答、彼女に問うた。「1年前の元日に、ここに来て、また今年の正月に来た。この1年、変わったことは何んですか?」。娘さんは、饒舌に答えたね。「10月に、タイへ1人旅をした。タイの人たちの目をみて、すごく感動した。日本は物資は満ち足りているが、心が貧しい。タイの人たちは、物資は貧しいが、心が純粋で、清らかで、豊かさを感じた。3年経ったら、タイで働きたい。貧しい子供たちと共に生き暮らしたい」。(③の他者への奉仕だな、と心の内)。タイの子供たちは、みな同じ顔、姿をしている。しかし彼らには才能が隠されている。タイの子供たちの才能を伸ばしてやりたい。(②の才能を開花させる喜びか、と心の内)。そこで次は、家族の愛に来るわけだ。(①だが、ここが問題だった)。18歳の娘さんが、なぜ中学で学校へ行かず、高校へ行かず、出版社に就職したか、壮絶な、体験を語ってくれた。修道士は、とても、ここに書けない体験だよ。それを乗り越えて、18歳だよ、今があり、まじめに仕事に取り組んでいる。それを聞いて彼女を、じーっと見て言ったね。「今、就職して、経験していることが、高校の実践の授業だな。夢見ているタイでの体験が大学の授業になるだろうね」。18歳の娘さんは、「お父さんは大好き、優しさ、愛情がある」「一時は、死にたいと悩んだ。なぜ自分だけが苦しむのか、とも思った。でも、最近は、お母さんの愛を深く感じるようになった。仲がよくなった」と。明るい顔して笑うのだった。(本当に、家族愛の喜びか、と心の内で思った)。18歳の、娘さんが帰った後、85歳の修道士は、思わず、つぶやいた。「ワイルドだ、ぜ」