2013年1月20日日曜日

こんな正月もあった。修道院も1人1芸で盛り上がった

バックの紙に「1970年新年会」とあるから、そう、ねえ。43年前の正月になりますね。修道院でも、若い面々が20人近く居て、休憩室を宴会場にして、盛り上がった時代もあった。1人1芸を強いられる。若かったから、何とか、こなした。落語をしゃべる者、習字を書く者、歌謡曲を歌う者、説教する者、にわか作りの獅子舞も踊り、そりゃ笑いましたよ。拍手喝采しましたよ。ノボセ者の小崎修道士は、下の写真、赤木の子守唄を踊りました。写真・左の方で、仲間の修道士が、紙ふぶきを散らして花を添えてくれた。賑やかなモンでした。その頃、週刊新潮に、「求道集団」と題して活字になった記録がある。「午前5時10分、セルギウス修道士が先ず起きて聖堂の明かりを点ける。同30分、全部の窓が明るくなる。同50分から、祈りが始まる」とあるから、この辺り、今と大差はないでしょう。ポーランド人はセルギウス修道士(ルルド係り)の他に、マチアさん(騎士誌の配布)、ゲラルドさん(印刷係り)が居た。日本人修道士の各人の名前もある。彼らの元の職業は、ハリ・キュウ師、船員に、工員、ダンプ運転手、裁判所の書記もいた。家が野菜店、また染織図案家など、前歴を並べると多彩だった。小崎修道士については、外海出身で、元三菱重工職員、職務は会計と印刷業務とあった。創立者のコルベ神父が福者に列せられたことが書かれていた。「ここには定年もなければ、老後の心配もない。とはいえ、若いときから、結婚の意志を放棄するのだ。性的な悩みはどうなるのだろうか。脱走者も多いのでは。それについての答えは、七年間の修業に耐えて、この道を自分で選ぶので、悩みはありません」と記してあった。★せっかく生まれたからには、ジンセイ、ソンしないように生きようではないか。孤独だったよ。病気がちだったよ。だけど、不幸じゃなかった。なぜなら兄弟愛を知る修道士だったから、ね。