2013年1月27日日曜日

孤独の人、苦しむ人を助ける、本当に寄り添うことの難しさ

今朝、考えました。ヒトは、ほんとうに、他人の痛みや、苦しみに、寄り添えるのでしょうか。人は愛を語ります。殉教者の温かい心を褒め称えます。それは模範意なる手本です。その通りに、今度は、自分が、実際に、実行面で、他人の悩みや、困難、失望を受け止めて、寄り添えることが出来るか、と言えば、これは中々難しい。実行できない悩みがあります。自分も、キズつき、迷い、痛手をうけるかも知れない。それらを語り合う場所はないでしょうか。自分は「実行しました」。イヤ、「失敗しました」と、そのような率直な体験を分かち合う所、機会、集まりは、ないのでしょうか。「信仰の体験を語る」のです。何かの冊子で、こんな体験を読んだことがある。被災地へ援助へ行った。当事者たちの、あまりの苦難に圧倒されて、言葉も出ない。苦しんでいる人たち、現実の人たちに、何と言って慰めていいのか。戸惑うばかりだったと、言うのです。それはホンネでしょう。自分が信じている信念があったも、言えません。告げる雰囲気ではない。もし言えば、シラケてしまう。ニンゲンには、そういう現実があるのです。先ずは何とか助ける。せめて、その人の苦しみ、痛みに、同化し、寄り添う。幾分でも、背負ってあげる。これらの体験を語り合い、分かち合う機会はないのでしょうか。★ここまで書いた時、電話がなった。「1つ、聞きたいのですが」と女性の声。「いま受験で、大変です。希望の大学に合格できるか、心配している。ある人から、勧められた。メダイを捨てなさい、仏壇も捨てなさい、献金をしなさい」。答えました。信念を持ってください。惑わされては、いけない。全力を尽くして、あとは、どの道に行くか、お任せする。メダイは身につけておけば、お恵み、安心になる。お金は安易に応じない。周りの人に相談を。今の時期、誘うヤミがあるのを感じました。