2013年1月15日火曜日

親切な応対は、快い思い出を残す。出会いは神のお恵み

正月早々、1通の手紙が届いた。筆なれた字で、年配の女性とわかる。「新春のおよろこびを申し上げます。覚えておられますでしょうか。昨年5月28日(月)、主人と2人で訪ね、お逢い出来ました。初めは不在かも知れないと思い、不安でしたが、幸い居られて、他のお客もなく、私たちが1人じめ出来たことを、とても嬉しく思いました」。日にちが分かっているので、写真帳を開いてみると、「あった」。この写真です。ブログにも載せていた。2年前に金婚式を祝った夫婦です。騎士誌の愛読者。「ゆっくり、させて下さい。お弁当、食べてもいいですか」。結局、2時間以上も居た、とある。いいご夫婦じゃありませんか。念願の聖母の騎士に来れて、良かったですね。「館内を案内してもらい、コルベ神父さまのことを色々と説明して頂き、とても感動しました。そしてコルベ神父さまを身近に感じることが出来ました。お昼のお弁当のときは、部屋を与えて下さり、ゆっくり、くつろいで帰るように言われました」。このように書かれると、本当に、そのとき親切の気持ちがあっただろうかと、今となって反省が湧いてくる。こちらが忙しくても、考え事があっても、「ちょっと、置いとって」応対していく。これが場合によっては難しい。小さな親切は、いつまでも残り、快い思い出になり、小さな「不親切」では反対に、心に大きなキズを生涯に渡って与えてしまう。便箋2枚の便りを前にして、心を引き締めた次第です。便りには「クリスマスの夜のミサに、2人の男の孫が侍者をして、中学3年の孫は聖堂の入口から十字架を頭上に高くかかげて入って来るのを見て、感動しました」とあった。小学6年の孫は神父さまの後に続きました。今度は孫と共にお訪ねします」