2012年6月30日土曜日

自分だけで耐えるな。もっと偉大なチカラが支えてくださる

今朝の祈り。ミサのなかの文章で、「彼は私どもの煩(わずら)いを身に受け、私どもの病を背負った」と、祈った。そのとき思いました。オレは昨日、「苦しくても自分の人生だ」と記した。あの言葉は、自分に頼り過ぎる、自己中心の独断ではなかったか。宗教は、そうではない。「主よ、あなたが我らの患いを背負ってくださり、私の病をも担ってくださる」。そう思うのが、信仰を求める者の生き方ではないか。胸を打って、反省した次第です。さて、私の元に1つのコメントが届きました。このようなコメントは、めったにない。喜びのうちに記しておこう。「4月号、5月号の、小崎修道士の文章に、どれほど励まされているか、言葉に出来ない程です。入院中であった母(87歳)の血尿が止まらず、苦しんでいたとき、小崎さんの腎臓が快復して行くように、私は本当に、母の快復の『希望』を感じました。幸い、血尿も止まり、ようやく退院し、現在は、母を自宅介護しています。小崎さんに感謝します」。私にとって、こんなに素晴らしい、喜びのコメントがあるでしょうか。誰が、どこで、読んでくださっているのか、私には全く分からない。有りがたい、お言葉です。早速、コメントを下さった人と、お母さんのため、今朝は祈りました。「主は、お母さんの患いを受け、痛みや、病を背負ってくださる」。そう信じて、日々、主と共に苦しみ、痛みを耐えて行こう。長い、試練の人生は、まだ終わらない。