新聞で、「永井記念館で『長崎の鐘』展を開催」と読んでいた。
昨日、放射線科の予約診療まで、余裕の時間があった。展示を見るべく、「如己堂」へ向かう。被爆医師・永井隆博士の小さな住居。小学生の一団が、大勢、見学に来ていた。彼らが抜けた瞬間に、如己堂を撮る。
記念館の中にも、小学生たちで、あふれていた。「どこから?」「私は92になるが、永井先生から理科を習ったのだよ」など、今の世、声はかけられない。
★新聞によると、「長崎の鐘」は、NHKの連続テレビ小説「エール」の主人公のモデルとなった作曲家・古関裕而氏によって歌謡曲になり、映画化された。「全国民が泣く愛と涙の大メロドラマ」との回想が、よみがえってくる。
「長崎の鐘」は、長崎人が、好んで歌う曲だ。この古い1枚の広告が、なぜか我が胸をふるわせる。時代が変わって、この小学生たちは、永井博士の展示から何を受け取るだろうかと想像した。
★「オーォ、レコードじゃないか」。昭和一桁生まれの脳裏からは、懐かしさと、軍靴の音も聞こえて来る。スマホ時代の小学生たちは、これを何と、見る。興味がある。「『長崎の鐘』を聞く永井父子」と説明の字。「かやの」さん、「誠一(まこと)」さんのも出会って、話を聞いた事がある。
この永井先生の家の場所から、崩壊した浦上天主堂を毎晩、眺めて、泣いた日々もある。
永井先生が描いた、「横長の、墨絵の、廃墟の天主堂の絵がないが、どこ?」と受付に聞くと、「2階の、図書室にあります」と答えた。
★召されて 妻は 天国へ別れて ひとり 旅立ちぬ
かたみに 残る ロザリオの
クサリに 白き わが涙
なぐさめ はげまし 長崎の
ああ、長崎の鐘が なる
ーーー
見ていると、悲しくなるよ。
2度と、戦争は、有っては、ならぬ。
2度と、核兵器、使っては、ならぬ。
老いたる我は、ただ、祈るのみ。
如己堂はトマさんの訪問を待っていたと思います。
返信削除傷みがきっかけではあったかもしれませんが、
神さまがアレンジされたタイムリーさに
嬉しくなります。
長崎の小学生達は恵まれていますね。
適切な導きの元にその恵みを存分に感じ取り、
各々のイノチを輝かせられるよう祈ります。
永井先生から直接教わっていらした
トマさんが声をかけにくかったのは
時節柄残念ではありますが、
小学生には、
永井先生とトマさんは一緒にいたんだよー、
同じ場の空気を吸っていたんだよー、
今日君たちがトマさんと同じ空間に存在できた
のと同じだよー、
みんなみんな生きているんだねー、
と、魂の声を送りたく思いました。
がぶらってぃ なりのエールです。
トマさん、お疲れの残るでしょう中、
今日もありがとうございます。
がぶらってぃは、最近、とても祈り疲れて
消耗していたのですが、トマさん達の暮らしに
ならうことで、光が見えております。
ジンクーエン。