3人のシスターが、トマを励まし、見舞いに訪れた。車で、40分程の都市から。教会の隣の修道院で、シスターたちは、9人の共同体で宣教している。それを聞いて、和やかな食事や、静かな祈り、休憩時間の談笑など、明るさがトマには想像された。
1人のシスターは、騎士誌や「グラフ」誌で、トマの記事を愛読したと言う。聞けば、嬉しい。60年前、まだシスターの道を進む前に出会った人もいる。左側の2人は、2度目の訪問だった。
★語るのは、トマだけだよ。老いて、信心者になるかと思えば、そうじゃない。老いると、自然体に帰るというか、自分のカラダも含めて、自然の出来事に抱擁されて行くのを感じる。老人のための「霊的生活」の指導が必要だね。我が侭も、出るし、ね。
★ホームに入った頃は、まだ自由に歩けた。庭も散歩していた。入った頃は、2つの悩みがあったね。1つは「孤独」。仕事から離れて、ホームという囲いの中での寂しさ。時間を持て余し、何をしていいのか分からない。もどかしさ、があった。
★もう1つは、これまで男子の修道院で生活してきて、男子だけの共同体だった。だから、今、皆さんたちの談笑や、祈る共同体がうらやましい。ホームでは男性も女性も、皆一緒の食卓。最初は、なじめなかったね。
★ホームで生活しても、根っからの「自分は、修道士である身分だけは、忘れるな」。祈りも、そうだが、恵みも、ある。導きは、感じるね。歳老いて、人格が変わる人を見て来た。そうは、ありたくない。そこで、パソコンを使って、毎日、日記を書くのを課題にしている。反応も、あるからね。
★6年が経って、ホーム生活も慣れてきた。抵抗がなくなった。人は、カンレイに、なれてくる。じゅうなん性がある。それで、やっていける。介護を受けて、有り難い。
★1時間ほど、トマの話を聞いて、シスターたちは微笑みながら、優しさを残して、「また、来ますからね」
シスターと行き交う時に感じる
返信削除何とも言えないほんわかしたものの背景に、
修道院での「和やかな食事、静かな祈り、
休憩時間の談笑」があることを改めて
知らされました。
外の世界に暮らすがぶらってぃにも、
「和やかな食事、静かな祈り、談笑」が
あれば、救われると思います。
孤独は人を蝕みます。
そして孤独は、実際に近くに人がいようと
いまいと、忍び込んでくるものですね。
気付かないでいると、深い傷を負います。
共に祈る人がいる暮らしに憧れますが、
一人で祈っていても、繋がりの中にあると
信じます。
再々書きますが、トマさんの日記に
出会い続ける日々によって、がぶらってぃの
信仰は太かもんに成長しているように思います。
ジンクーエン。