2020年10月13日火曜日

平凡を呼吸して過ごす日々。墨字を書く。若さを保ち、長寿を願う思い

今朝、ミサが終わり、自室に帰る。カーテンを開くと、この景色。「美しい」と感動しませんか。何事も無いように、願う一日。変わらないのが、幸せです。
今は、もう唯々「自分が生きて行く」ことに専念しています。痛みは、ないか。おなかは、快調か。眠れるか。そんな何気ない事に、気分が振幅します。「生きる」を底辺で呼吸している感じです。それを伏させて、明るい顔をして、日々をつないで行かないと、ダメでしょうか。
★書道クラブがありました。先生が、「11月に、町の文化祭があるから、展示しましょう。書きなさい」という。
前にも書いたが、「青松多寿色」を選んだ。ネットで調べると、「せい・しょう・じゅ・しょく・おおし」=「松は、いつまでも青々。若さの象徴。不老長寿を連想させる」とあった。この字を崩し字で描いた掛け軸も載っていた。それでは「竹下流清泉」は、何だろう? ネットでは、読みや解説が出てこない。泉は、地中から湧き出る水。
★書くからには、やはり、読み方や、意味を知りたいと思う。今は、もう、ネットでしか、調べる方法はない。書道の墨字が書くのは、楽しみでもある。小・中学生に与える心構えではないが、「こころは、正しく、筆の運びは、のびのびと、気持ちを込める」。墨字には、ヘタでも、何となく惹かれるものがある。

2 件のコメント:

  1. がぶらってぃ2020年10月14日 5:32

    創造主をそばに感じられる美しい朝の空を
    共有くださりありがとうございます。

    東の空の様子も、夏とは違うことを
    知らされます。そもそも空は、時ごとに
    同じことがありません。

    「生きて行くこと」に集中されている
    というのは、“今ここ”を大事に一歩一歩
    進まれるということで、おっしゃる
    「砂浜にそっと足を下す」おこないに
    通じるものと受け止めました。

    多くの人は、日々の暮らしや生活のあれこれに
    気を取られて、「生きて行くこと」
    “今ここ”をないがしろにしたり、
    忘れたりしがちです。
    すなわち“生きていること”を意識できずに
    流れてしまっているのでしょう。

    トマさんの書は、いつもリズムが表れていて、
    流れるようですね。毎日の創造的な活動で深まる
    感性、体のシンみたいなものが
    しっかりされているのを感じ取ります。

    体幹が通っているというのでしょうか。
    書もまた「真一文字」なのでしょう。

    「清流」には、ルルドを思いました。
    トマさんには、いつも聖母の騎士の
    ルルドの水が流れているのが
    わかります。

    がぶらってぃのおるところは、
    烏が鳴き出しました。彼らも
    生きていることを実感し始めた
    でしょうか。

    トマさんの「生」に助けられて、
    がぶらってぃも「生きる」の「底辺」に
    しっかり立ちます。

    今日も創造主との繋がりを太くして
    くださって、ジンクーエン。


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  2. 私もネットで調べるのみなのですが、「竹下流清泉」は、富岡鉄舟のものだそうです。読み方は「竹は下ちて清泉に流る」、意味は「竹は流れ下って清い泉にそそぐ」ぐらいではないでしょうか。

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