スペイン人の修道士さんから電話があった。
「『こころの時代』、見ました。よかったですね。召し出し、の事、考えました。いま、司祭、修道士、シスターになる人、少ないです。このテレビを見て、そのことを考えました。あなたが歩いた道です」
名前を聞くと「アントニオ・ガルシア」さん。91歳。「あなたより、1つ、歳少ないね」「どこの修道院?」「長崎・二十六聖人の修道院です」(写真の右側、教会と修道院)
★ガルシアさんが聞いた。「あなたの修道士名、何ですか」「二十六聖人の1人、聖トマス小崎です。15歳で、殉教しました」。ガルシア修道士さんは喜んでくれた。ガルシアさんは、日本へ宣教に来て70年になるという。「スゴイなァ」としか言いようがない。長崎の黙想の家でも働いた。修道士、と聞けば、何やら親しみを感じる。「あなたの写真、ありますか」「沢山、あるよ」「送って下さい」
★『こころの時代』も、見方によっては、司祭や修道者への召命を考えるヒントもあるんだなと嬉しくなった。
★しかし『こころの時代』の一番の反応は、「赦し」だった。女性の2人から電話があった。いずれも「赦せない」「赦すことが、一番、難しい」と嘆いていた。人は人生に於いて、「赦せない」沢山の出来事に出会う。いかに解決するか、難しい。
★人の根底には「愛」と「赦し」と「十字架」がある。簡単に、決めつけは出来ない。そこに人間の苦悩がある。
森松次郎は、外海のキリシタンの家に生まれた。才覚優秀で、和漢、蘭学、洋学など独学で学ぶ。迫害を逃れて、上五島の頭が島へ潜む。クザン神父を島へ迎えて、宣教師との出会いが行なわれた。
ドミンゴ森松次郎は、長崎へ出て、プチジャン司教と共に、マニラへ渡る。現地で、フランシスコ会やドミニコ会の書庫を調べ、マニラの日本村で、二十六聖人の遺骨や遺物を発見した。
森松次郎は、4人の娘が居たが、皆、シスターとなる。男の子は居ない。姉「カタリナをせ」の子供、与重を養子とした。ドミンゴ森松次郎は、明治35年、68歳で逝去。与重が「書き置き」を受け継いだ。与重は、国漢の教師を勤めた。76歳で没。これらの事をトマに教えてくれたのは、与重の長男、森瑞枝さん(1908年生まれ)で、宮崎にお住まいだった。資料などを見せて頂いたことを思い出す。
★ガルシア修道士さんから電話を頂いたことで、二十六聖人に思いをはせる次第となった。古い物語は、忘れ去られるのだろうか。
聖母の騎士のルルドで、
返信削除トマさんと山口院長神父さん、高原修道士さんが
3人で映っている写真
(8月11日の貴日記にありますね)を思いました。
完璧な安定の中に、あるべきところに導かれ、
おさまっていらっしゃる様子が修道の
現れと受け止めておりました。
繰り返しになりますが、ワサお母さんと一緒に
ガブリエル少年がルルドへあがったような体験を
もって、新たなイノチを得る子に、現代の光が
あたるよう願うばかりです。
日本二十六聖人のご遺骨は、長崎から
離れていると、写真ですら見ることがありません。
歴史的にも貴重な記録や記憶は、トマさんが
語り記してくださるから、伝わります。
情報としての資料はインターネット時代ですから
入手できるのかもしれませんが、実体験が伴った
人の物語とは違います。ありがたいことです。