2019年5月5日日曜日

写真家が言った。「被爆者の苦悩が目に表現」それを撮りたい

見知らぬ写真家から電話があった。「被爆者を撮りたい」「(午睡するので)2時に来て下さい」。約束の日、また電話があった。「1時にダメでしょうか」「いいでしょう。待っています」。午睡を犠牲にした。不安は、あった。写真を撮ると言っても、相手がどんな人物かも分からない。紹介状もない。勝手に写真を撮られて、使われても困る。今の世、用心するしかない。そう思うのが普通でしょう。
★1時前に、玄関で待っていた。その写真家が姿をあらわした。玄関のソファーで一応、話を聞いた。豪華版の「原爆遺構」の写真集を見せ、「差し上げます」。念を入れて、1枚、1枚をめくった。立派な写真集だが、それにも増して彼が言った言葉に、心を動かされた。
★ある時、自分は気がついた。被爆者の目に『チカラ』がある。苦しみ、悲しみ、痛みが浸み込んでいる。それを自分は写したい。被爆者の目の中に、悲しみや苦しみ、痛みが宿っている。そこに魅力を感じる。写真の意義は、記録もあるが、表現もある。自分が理念をもって、ものを撮ると、思いが相手に伝わる。その人の歴史や、苦悩が、目の中に埋まっている。それが表現となって、自分に返ってくる。そういうものを撮りたい、と私は受け取った。
★普通、被爆者を撮る場合、膝(ひざ)上か、腰あたりの上か、胸あたり上を撮る。それが普段の撮り方じゃないですか。この写真家は、目を中心に、顔を撮りたいというのです。彼の考え、視点に、共鳴しました。確かに目の奥には、原爆の廃墟、悲惨さが秘められているはずだ。ひそんでいるはずだ。それに焦点を当てる、初めての見方だった。
★彼を応接間へ招いて、撮影した。実は、写真を撮るならと、既に修道服をバッグに入れて用意していた。目を中心に、顔、首のあたりから撮るというので、修道服の「カプチュン」だけを着て、椅子に座った。
★2台のカメラで撮った。その中の1台は、6✕6のフイルムで、巻いて写す以前の形式のカメラで、ハンドルを回して撮った。懐かしい。私も以前、「まみや・プレス」を使っていた。大型の、横長のフイルムだった。
★撮影の後は、原爆のナマの体験を語った。録音機を置いていた。8月9日、何を見たのか。何を経験したのか。話は熱っぽくなってくる。盛り上がったところで、もう疲れた。この後、予定もあった。既に2時間が経っていた。「きょうは、これで止めましょう。また来てください」と早々に引き上げた。その後、数人で唱えるロザリオの先唱があった。後始末を見届けることなく別れた。あの写真家には申し訳なかったとの思いが残った。

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