2019年5月17日金曜日

中島優神父さまの命日だった。写真を出して思い出にふけった

ホームで亡くなったピオ中島優神父さまの命日です。3年前、車椅子の中島神父さまと一緒に、ホームの庭で撮ったスナップです。4月30日となっている。この後、17日後に、急に逝去された。その悲しみ、衝撃は大きかったですよ。お元気で、庭で、ポカ、ポカと温かくなった陽の光を浴びて、楽しかったのに、17日ですよ。亡くなるなんて、人間の寿命は、神さまのことです。中島優神父さまの安らぎを祈りました。
★中島神父さまは、五島・福江島の「水の浦」の出身です。海沿いの家に、お父さん、お母さんが生活していた。神父さまは1人息子でした。両親は、その息子を神さまに捧げました。家は、優が居なくなって、寂しかった。そこで小神学生だった私たちは、両親の家に夏休みに行って、泊まって、暮らしました。そんな思い出がある。
★当時は食料難の時代だった。両親の家では、着いた日と、帰る日だけが、お米ご飯で、あとは麦飯か、カンコロだった。お父さんから毎日のように舟で魚釣りに連れて行ってもらった。
★そのお父さんも、お母さんも、最後は、このホームに入って、ここで亡くなった。
★歳を取るというのは、過去の、色々な積み重ね、記憶、体験を持っていることです。それは自分にとっては、捨てがたいタカラもの、です。
★きょうは、長崎へ。ヨゼフ・クリニックで定期の診察を受けた。帰ったのは1時頃でした。午後、五島出身の女性2人と、私の3人で、ロザリオを唱えた。「祈り」によって、みんなが「つながって」いる。ムカシも、イマも、それを感じました。

0 件のコメント:

コメントを投稿