2019年5月27日月曜日

声をかけて貰った嬉しさ。今が、6歳の少女につながる、不思議さ

きのうの「ルルド祭」での出会い。ミサの前に、教会で、声をかけられた。名前を言われて、びっくりした。「え?」。真っ白の髪、白い服。女性の旧姓「長谷川です」と聞いて納得した。「81歳になります」。私と、ちょうど、10歳違う女性、2人で写真に納まった。東京・関西の巡礼団の一員として参加した、という。
★戦争、真っただ中の出来事です。16歳の私は、カリエスの病気上がりで、身体を慣らすため、大学病院の耳鼻科の「博士論文研究室」のお手伝いをしていた。耳鼻科の教授が「長谷川先生」だった。長谷川教授は愛妻家で、よく自宅に、お使いに行くよう頼まれた。自宅では、奥さんから丁重なお茶とお菓子の接待を受ける。帰りには、お駄賃まで頂いた。そのとき、自宅に居たのが、この娘さんだった。10歳違うから、6歳だったのであろう。あの頃のご縁が、今につながる。このように長いご縁が他にあるだろうか。忘れずに声をかけてくれたのが嬉しい。私の元気な姿を見て、喜んでくれた。
★長谷川先生は、大学病院で被爆する。女性は言った。「その日の夕方、からだ一杯にガラスの破片を受けて、自宅へ帰りました」。長谷川先生の記事で、その後、天草で療養して、原爆病症状で苦しまれたが、確か、被爆8年目、フランス・ルルドのお水で癒された、と記憶がある。長谷川先生の家族は、カトリックの洗礼を受けた。
★長谷川先生は長崎から関西へ居を移される。大阪大学医学部教授になられた。何度か、先生の自宅でお会いした。長谷川先生は洗礼を受けられてから、熱心な信仰者になられた。自宅に、医師たちを集めて、司祭にお願いして、要理講座を開かれた。
★確か、私のアルバムに、先生ご夫妻と、修道服姿の私と、一緒に撮った写真があるはずだが、見つけることが出来なかった。長崎へパパさまが来られたとき、長崎・聖母の騎士に、長谷川先生をお招きした記憶がある。奥さんを亡くされた後、先生とご一緒に、お墓参りをした。娘さんも近所から出てこられた。長谷川先生の思い出は貴重な記憶で、忘れられない。
★ホームに帰って、年賀状の束を探したら、女性のハガキはあった。つながりは大事にしたいと思う。
★きょうは、東京から3人の来客があって、食事に出かけた。午後からは、「91歳の10年日記」の放送のNBC長崎テレビの女性ディレクターがDVDを持って来た。日記を書くのが遅くなった。

1 件のコメント:

  1. トマさーん雨になっちゃいましたね(・・;)
    トマさんとの出会いは皆んなの宝物になってると思います。私もママもそうだから(^^)
    毎日 トマさんの日記をママに読んでもらって元気になるよ。私もママもトマさんが大好きです。

    返信削除