2019年3月11日月曜日

衝撃・東日本大震災の日。8年前のその日、何をしていたか

8年前の「東北で巨大地震」。翌日と、翌々日の「長崎新聞」記事です。その時、私は何をしていたか。その日の日記を開いて見た。
★午後、ベッドで安静にしていた。2時過ぎにテレビを付けると、地震の知らせ。そのうち「津波が来るから、即刻、避難しなさい」と盛んに呼びかける。やがて大波が押し寄せて、家も畑も空港も海水で飲み込んだ。「恐ろしい」と絶句。刻々と増加する死者・行方不明の数。1夜あけて、被害の甚大さに、もう言葉は無い。逃げること。安否が分からない。水・食料がない。零下をさがる気温。どうしようもない。
★何年か前に、三陸を旅行したことを思い出した。あの美しい海岸が、1夜のうちに廃墟となるとは。粉々に砕け、平地になった状況を見ると、原爆の丘を思い出した。亡くなった人たちの冥福を祈る。今夜の夕食は、被災者を思い、オカズを減らそう。ポーランドのコンラードさんから「同情します。安全を祈ります」とメールが入った。世界の人が見守っている。
★翌々日は、日曜日だった。ミサで、死者のため、被災者のため、ただ祈った。言葉がない。とにかく逃げるしかない。それにしてもサイレンが鳴らなかったのが不思議で仕方がない。飛行機から押し寄せる大津波を撮影していたが、これを見ると、一目瞭然、その恐ろしさが分かる。原発が破裂した。被爆者が出た。66年目の被爆。恐ろしい。チェルノブイリの訪問を思い出した。津波は20mにも達した。45万人が被災した。テレビで見る、もどかしさ。東北地方の地図を出して、どの町、どこの場所、どこら辺まで被災したのか、全体的に教えて欲しい。それが知りたい。
★以上が、日記に書いた文章だった。遠く長崎に居て、一番もどかしく思ったのは、被災した範囲だった。全く分からない。あれから8年が経過して、新聞に、「復興は終わらない。多くの仮設住宅が残る」とある。長崎から三陸地方へ行けないが、被災者の早い復興を祈るばかりです。今日は、そことが書きたかった。

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