2018年5月7日月曜日

永井博士の続き。浦上天主堂の崩壊図を模写した

戦争が終わった翌年の秋に、聖母の騎士神学校で、ルルドの上の運動場で、運動会が行なわれた。競技に使う為に、永井博士が、アシジの聖フランシスコの絵を2枚描いてくださった。ふすま大の見事な水墨画でした。写真はその絵と、競技後、聖絵の前で祈る競技者・神学生たちです。後日、神学校は火災に会ったが、永井先生の貴重な2枚の水墨画は燃えてしまった。あの絵が今あれば、と惜しまれる。
★永井先生は、私に、個人的に、大きな横長の絵を見せてくださった。崩壊した浦上天主堂の全景だった。私は、その絵を手本にして、同じ大きさに模写した。当時は、終戦直後で、アメリカ軍の憲兵は、原爆で破壊された資料や、絵を公にしないように厳禁していた。持っている者は厳罰に遭うという話だった。私は、それを恐れて、自分が模写した浦上天主堂の墨絵を燃やしてしまった。今、思えば残念な破棄だったと悔やむ。当時は今、想像出来ないほど、原爆の情報は禁止されていた。自由がないのも戦争に負けた結果だった。
★永井先生は、戦後、復刊された聖母の騎士誌に毎号、原稿を載せた。その題目は「隣人愛」「親の勤め」「母性愛」「平和を」「原子野の声」などであった。
★パウロ永井隆博士、43年の生涯。辞世の句「白バラの花より香り立つごとく、この身をはなれて昇りゆくらむ」
★死んでも、あなたのことは、誰かの、どこかに、残る。