2018年5月21日月曜日

老いても、咲くのは、善き出会いにある。来たれ友よ

「老いて、なお、置かれた場所で、咲きなさい」。そう、ですよ、ね。どこかで聞いた言葉でもある。老いても、人生ですからね。最後まで、生きる。老いると、これが中々難しい。人生って、長ーがい。青年時代も、壮年時代も、自由があり、夢があり、何処へも行けるじゃないですか。そのままの気持ちで、老いに突入すると、自由がある、夢がある、と思うかと言えば、そうではない。色々と不自由さが出て来るんです。
★最近は、右側の肩というより、上腕と肩の付け根というか、その辺が痛み、困るのです。レントゲンも撮りました。考えてみれば、右腕で、90年ですよ。書いたり、描いたり、最近はパソコンを打ったり、長ーがい年月、使ってきたから、そりゃ腕の付け根も痛むでしょう。機械だって、擦り切れます。五千円で買った腕時計が、針が止まり、動かなくなった。いつ買ったか覚えない年期の古時計ですからね。目も、ショボ、ショボして、ナミダが出て、聖書の細かい字も霞むようになった。本も読めません。背中だけは、シャンとして置きたい、そんな気持ちです。
★読書を振り返ってみると、小学生の頃は、サトウ・ハチロウのユーモア小説。修練者になって、病気の時には、倉田百三の『出家とその弟子』。よくぞ、こんな本が修道院の図書室にあったものです。エックハルトの『離在』。その後は、丹羽文雄の文章の流れに引かれた。石川達三の『四十八歳の抵抗』。小原信の『出会いの心理学』。この本は、最高によかったな。特に、この『出会い』は、聖コルベ館で愛読した。言葉の流れに影響を受けたと思います。
★「善き出会いは、人生の宝です。生きる喜びです。老いても咲くのは、出会いにある」