2018年5月22日火曜日

雲仙のお菓子「湯センペイ」。山の思い出、沢山

「ハイ、おみやげ」。隣の修道院の浜田神父さまが、自室まで持って来られた「湯煎餅」です。「殉教祭」の夕方だった。雲仙の有名なお菓子で「湯センペイ」と呼ぶ。直径10cm。厚さは0.3mmのポキ、ポキ、折れる軽いお菓子で好物です。「ああ、わざわざ有り難う」。感謝して受け取った。雲仙・町中のお店で、実際に実演・焼いている情景が目に浮かんだ。
★雲仙に初めて行ったのは、戦争が終わって5年目、昭和25年の秋だった。私は高校3年で(小神学校=当時、中・高で120人の小神学生が居た)、舎監のロムアルド修道士と、高3の同級生9人で、卒業旅行だった。交通は不便で、乗合バス利用で、長時間かかって雲仙まで登った。旅館へ2泊。雲仙の天辺まで登って、大変な豪雨に会う。雨のツブの大きさに驚いた。ほうほうの態で、旅館に戻ったのを今でも、はっきりと覚えている。ポーランド人の修道士ロムアルドさんは着替えがなく、ダルマに浴衣を着せた姿が奇妙におかしかった。枕には汚さないために紙を巻いていた。紙には「こころ安らかにお眠りください」とあったが、同級生の1人が紙を集めて、鼻紙にした。彼は蓄膿症だった。隣の部屋は県外の教師一行で、夜更けまで騒いで眠れない。次の夜は、ノミに悩まされた。炊事場のカシアノさんが持たせた、ポーランドのお菓子「フルスチィ」が残った。当時は食料不足の時代。残ったお菓子を仲居さんに上げようと決める。鼻紙の同級生が、その役目に当たった。彼は「恥かしいなァ」と、てれながら、フスマの傍へ「スーッと」寄って練習をする。途端に、フスマが開いて仲居さんが入ってきたので、「びっくり、こけた、鼻紙くん」。みんなは大笑いだった。
★あれから何年、経つだろう。鼻紙の同級生は、ローマ留学して、神父になり、素晴らしい活躍をしていたが、亡くなった。いま、修道会に残るのは、私と、あと司祭1人だけである。湯センペイを食べながら、8人の同級生のこと、ロムアルドさん、カシアノさんを思い出している。