2018年5月6日日曜日

5月1日は永井隆博士の命日でした。信仰と平和

長崎・原爆の後、私が聖母の騎士へ入ると、そこに避難していた永井博士がいた。昼間は浦上で仕事をして、夜に帰った。私たち神学生の夜の自習に、よく見えて、中国戦線で医療活動をした話をしてくれた。なぜか、原爆の話は覚えが無い。原爆の後、永井先生は、奥さんや多くの人たちの犠牲を考えて、半年間は髪を切らず、ヒゲを剃らず、喪にふくした。
★翌年の春になって、神学校が中学として開校すると、永井先生は私たちに理科を教えた。人間の不思議な機能を説明した。浦上の大工さんから、小さな家を作ってもらい、「如己愛人(にょこ・あいじん)」から「如己堂」と称した。復興・長崎で一番小さな家だった。
★永井博士は「愛と、命と、赦しが、平和の原点だ」と教えたと思う。愛は、「如己愛人(にょこ・あいじん)」であり、命は、「人は、どのように死んでいくのか」。信仰の中で、神に信頼し、総てを委ねて苦しみに耐えてながら、病状を隠さない、ありのままにガラス張りの戸の向こうに、自分をさらけ出しながら、誰でも見える形で、人間の生き方、死に方を示した。そこが今、永井先生の偉さだったと思う。赦しは、苦難を神の摂理と受け止め、前向きに進もうと、みなに希望を与えつづけた。
★今、この歳になって、どのように死ぬ最後を迎えるのか、絶えず考える。アヴェ・マリアで「今も、死を迎える時にも」と祈るのは、そのためだ。永井先生は、あのガラス戸の中で、見える形で自分の死をさらけ出した。その勇気に今は感動する。
★食事のときに、瀧神父さまに「永井博士」の話を語りかけた。瀧神父さまは、中学・高校生のときに、永井博士の本を読み、数冊の後、最後に「滅びるものを」を読んで、信仰に導かれた、と言った。永井先生に信仰の影響を受けた人は多い。
★5月1日は、パウロ永井隆博士(原爆・医師)の命日だった。昭和26年(1951年)帰天された。67年になる。何年経っても永井先生の事は忘れない。