2013年2月4日月曜日

同伴者に成れ。だが、共に苦しみ、共に喜ぶ、難しさ。

聖コルベ館に見学に来た若者が、「長崎のコルベ神父」を読みました、と言えば、気になりますよね。ブログも見ています、と言うし、ネットから、コルベ神父についての話(動画)も見ましたと言われれば、なお更、気になりますね。県外から、片道、3時間、高速で来たという若者がいた。「ああ、そうなの」と興味を示すと、彼は車から小型のパソコンを持ってきて、動画を見せてくれた。普通は、職業を聞くのは遠慮するのだが、ここまで踏み込んで来られると、ついつい「お仕事は?」と聞いてしまった。「臨床心理士です」。それで話易いんだ。当方の話を、スムーズに彼は理解してくれる。いろんな人の悩みを聞いているから、慣れている。彼との会話のやり取りから感じたことは、「苦しむ人と共に苦しみ、喜ぶ人と共に喜ぶ」、つまり「同伴者になる」という姿勢だった。オレは原爆の丘で、同伴者に成れなかった。コルベ神父は強制収容所のどん底で、同伴者に成り得た。そこが違う。しかし、本当に、「共に苦しみ、共に喜ぶ」ことは、いかに難しいことか。「いかにすれば同伴者に成れるか」と若者に問えば、彼は答えた。「愛でしょうね」。人間は孤独で生まれ、孤独で死んでいく。その中間に、いかなる同伴者を探すか、探し当てた者が幸せになる。「ツライ経験に、意味づけを、する。例えば、乗り越えると、強い人間になれる、とか、よろ神さまに近づける」。そう言って、聖コルベや、修道士の文庫本を数冊求めて、サイン帳に、名前だけを書いて、若者は、十分に時間を過ごして、午後から去った。