2019年4月1日月曜日

新・元号「令和」に決まる。昭和は遠し。日々、変わらぬのが幸せ

ホームの自室に居て、テレビに釘付けになった。正午頃、新しい年号が発表される。決まった新・年号は「令和(れい・わ)」。その時、即、思ったのが「ああ、昭和は、まさに遠くになりにけり」だった。そして次に思ったのが、「昭和が平成に変わったとき、ボクはどこに居て、何をしていただろう」でした。
★昭和64年は、1週間ほどで、平成元年になった。あの頃、ボクは小長井町の養護施設の敷地内にある私立の小・中学校に居た。施設の子供たちだけが通う学校で、小学生が50人ほど、中学生が50人はど学んでいた。施設に入る子供は、殆ど不登校の負い目を抱えていたが、椿原の学校に通うと、翌日から学校に来て、学力の遅れを取り戻し、高校受験に頑張る子供たちに変化していった。あの頃、楽しい思い出がある。
★ボクは校長として、6年間勤務した。周囲は森林に囲まれ、空気は澄んでいて、森林浴にもなり、健康に最適の場所だった。風邪を引いても休むことなく、6年の間、1日も学校を休まなかった。子供たちとの別れは辛かった。
★平成3年に、山を下って、長崎市・聖母の騎士に戻り、聖コルベ記念館の担当になった。平成26年8月まで、24年間務めた。平成の殆どは、聖コルベ記念館で過ごした経歴になる。聖コルベ館では、1日じゅう、修道服を着て、座っているだけで、沢山の巡礼者、観光客、修学旅行生に出会って、恵まれた日々を過ごした。
★昭和初期に生まれて、戦争や原爆を体験したボクにとっては、平成は戦争のない平和な時代だったといえる。争いのない、乱れのない、平凡な、静かな日々が、きのうも、きょうも、つづいていくのが、いちばんの幸せだと感じている。
★「令和」の年も、そういう平和な年であって欲しいと願い、今日の日を過ごした。
★パソコンも、電力の強さも戻り、平常に書けるようになった。これで安心できそうです。

2 件のコメント:

  1. コルベ記念館に座ってたトマさんに お話を聞きたかったなぁ〜とフッと思いました。令和もトマさんといっぱいお話し出来ますように。ココナより

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  2. トマ修道士さん、絵や字が本当にお上手です。私は、昭和生まれ。娘は、平成元年生まれです。病院で、平成を知りました。平成に
    戦争がなかった事は、本当に良かった!

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