2019年4月9日火曜日

ある日の朝の思い。廊下の窓に、へばりつく「ヘンな虫」

朝、5時に起きる。朝、早く起きるのは、修道者の「いのち」でもある。多くの志願者が来ても、朝、弱い者は皆、沈んで消えた。常に「自分に甘えるな」。言い聞かせる。朝が一番大切です。早朝に起きて、修道者は、祈り、黙想をする。こうして年十年とやってきた。ホームに来ても同じだ。屋外は、まだ暗い。教会での共同の「朝の祈り」「ミサ」で祈る。平和のため、近隣者のため、死者のため、神に祈る。「早朝から、祈っています。日中は、喜んで奉仕しています」。それが修道者だ。
★祈りが終わると、すっかり明るくなる。自室に戻る、ホームの3階廊下には、朝の陽が、やわらかく、明るく照らしている。静かだ。歩く人もいない。「ああ、朝だな。新しい日だな。いつもと変わらないことが幸せだな」。そんな思いで、朝の陽を受け入れる。「賛美と、感謝」。故人となった村山修道士は、いつも、そう言った。
★おや、壁に自分の姿が映っている。これがオレの姿か。昨年の12月から、今年の1月は、2度も入院して苦労が多かった。それでもお恵みか、また生きる日々を与えられた。いつだったか、見舞いに来た五島の女性に、私が、「ジンセイって、苦しみの連続だね」と言うと、さすが、五島列島で育った女性だ。間髪、置かずに、即座に答えたよ。「苦しみなくして、ジンセイ、なし」
★苦しいときには、なにか、いいことを、1つ、考え望むのです。すると気持ちが、スーゥっと、楽になる。励みになる。ヒトは1つでも、楽しい計画を作っておくと、明るく生きられる。
★廊下の窓に、「あれ?なんだ?」と、気がついた。ヘンな虫が、こびりついている。何か?なんだろう?チョウか、蛾(が)か。どこから来たのか。ヘンな虫だ。ジーッとして動かない。トン、トンと、ガラスを叩いてみた。それでも動じない。生きているのか、死んでいるのか。ただ、ひたすらガラス扉に、しがみついている。「いのち、あるものには、ふしぎが、ある」。愛しい気持ちになる。妙なものを見たなと、この日に見つけた「いのち」への思いだった。午後、また窓を見ると、ヘンな虫の姿はなかった。「生き延びろよ、ヘンな虫よ」

1 件のコメント:

  1. 朝のお祈りと黙想は、生きる力でしょうね。すがすがしい空気が、体に染みわたり、祈りが深まるのでしょうね。

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