2019年4月14日日曜日

1つの言葉が、1つの文章が、人の心を感動させ、変化させる

昨日の夜は、湯江教会で、年の黙想のミサが行なわれて、黙想会は終わった。
★ミサの説教の後半で、李信衡神父さんは、自分の召命について語った。「子供の頃から、司祭になりたい希望があった。日本の大学を出て、29歳のとき、早く自分の召命を決めなければいけない。韓国では、司祭志望は30歳までになっている。韓国で司祭を目指すか、日本で目指すのか、迷った。韓国には両親も居る。司祭になっても、何かの時に直ぐに帰れるか。それでも修道会に手紙を出した。修道会から『来てごらんなさい』の返事がきた。何度か修道会に通ううちに、召命担当の司祭から、こんなことを言われた。『2つの道があるとする。1つは困難な道、もう1つは易しい道。あなたは、どちらを選びますか』。この問いかけで、心は決まった。日本の修道会(コンベンツアル・フランシスコ会)の司祭になりました」
★ミサが終わって、黙想会が終了した。信徒の1人が代表で、李信衡神父さんにお礼の言葉を述べた。「1日目は、聖フランシスコと、パパさまの話。2日目は、ごミサの話でした。私が一番心に残ったのは、エマオの弟子の話です。旅人(イエスさま)と一緒に歩いたが、イエスさまと全く気付かなかった。一緒に宿を取って、食事をしたとき、パンを割かれた。そのとき目が開かれ、主イエスさまだと分かったが、その姿は消えた」
★信徒の話を聞いた時、私の胸に、ググっと、くる反動があった。「ああ、そうだったのか」。私たちの日常で、苦しみや、孤独や、困難な環境にあっても、主は私と共に居られる。私が気付かないだけだ。あのエマオの弟子のように、気付かなくても、主イエスは共に居られる。希望を持っていいのだ、と。一瞬の言葉が、心に刻む。「主は、私と、同じ出来事、環境、境遇を共有される。それが信仰だ」と思った次第でした。
★きょうの日曜日は受難の主日でした。枝の主日ともいわれ、枝の清めがあった。聖週間が始まります。次の日曜日は復活祭です。

2 件のコメント:

  1. 困難な道と易しい道のどちらを選ぶか、のお話に心を打たれました。

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  2. 本当にエマオへの弟子のお話し、心に刻まれます。日常で、気づかなくても主が共にいてくださる。小さい事の中の主の存在に気づいていけたらと祈ります。

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