2019年4月19日金曜日

「お互いに、足を洗いなさい」その意味は、許し、愛し合しあえ

昨夜のミサです。ミサの中で、洗足式が行なわれた。その模様を写真に撮ろうと、構えていた。受難に向かわれるイエスが、弟子たちと共に、最後の晩餐をご一緒にされる。その時、イエスが、弟子たちの足を洗われる。そしてイエスは言われた。「主であり、師である私が、あなた達の足を洗ったのだから、あなた達も互いに、足を洗いなさい」。足を洗うのは、どんな意味があるのか。「へりくだりなさい。謙遜になりなさい」との教えが示されている。その儀式が、二千年間にわたって守られてきた。湯江教会は信徒が少ないので、男性・数人が洗足式に臨んだ。
★主任司祭の神父さんが司式して、信徒の足を洗った。素早く近づいて写真に撮った。信徒は気のどくだよ。足を差し出して、神父さんが水をかける。儀式の示す「謙遜になること」。これが難しい。人間は、元もと、自慢、傲慢に生きている。「自らを示そう。拍手、喝さい、頼むぞ」。そんな気持ちで満ち溢れている。「へりくだる」「自己の真価を認める」。いずれも、己との戦いだ。老いてくると、己の鎧(よろい)も解けて、自己の虚しさを知る。「行なってきた過去の出来事に、輝きはない」。すべては助けられて、導かれて、行なって成立した足跡だった。
★ミサの後で、ご聖体を先頭に、信徒一同は、ラテン語の聖歌を賛美しながら行列し、ご聖体は別の部屋に移された。いま、教会に、ご聖体は、ない。その後、皆で一緒に、共同でロザリオを唱えた。この儀式は、これまで何十年も、同じように参加してきた。しかし今度は、自分の体力を考えると、「ああ、もう今年が、最後になるかな」と自覚した。
★ホームに居て、いま一番感じるのは、「つながり」である。自分は独りじゃない。孤独じゃない。修道会の皆さんに「つながっている」。それが今の自分の活力になっている。

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