2019年4月13日土曜日

昨夜は年の黙想2日目。十字架道行。講話ミサの解説。今日終わる

昨夜は、黙想会の2日目。夜は早い時間に寝るので、夜の行動は、隣の教会へ行くのにも、一応、馬力が要る。信徒の先唱で「十字架の道行」から始まった。長崎教区の「カトリック祈祷書」から、14留までを祈る。昔ながらの文語体の流れの祈りが、なんとなく悲痛な叫びとなって胸に込み上げてくる。聖母の騎士では、毎金曜日に祈っていた。
★昨夜の李信衡神父さんの講話は、最後の晩餐、ミサに付いてであった。十字架の印に付いても教えられる。今日の予定は、ロザリオと、ミサ。それで年の黙想は終わりとなる。復活祭の前に、1つのクッションを置くのは、いいことです。
★今日は、朝から1人で、広い風呂に入浴した。元気が戻ってきた。「顔色が、ワルイね。どこか、不具合なの?」と言われるのが、いちばん、スカン。やはり、ゲンキが、いいね、と言われるのが励みになる。昼食は、食卓に3人居残った。話が尽きない。午後から大野神父さんは、聖母の騎士へ帰る。また瀧神父さんと2人になる。寂しい。
★昔は、ポーランド人の司祭から、よく「聖成(せい・せい)」という言葉を言われた。「聖人に成りなさい」。それ、だった。修道服を身に付けても、それで立派な人間になる訳ではない。欠点もあり、弱さもある。ポーランド人の神父さんは、礼儀作法から、マリアへの信心、聖成のこと、自己反省の仕方、欠点など教えて導いてくれた。厳しいところもあったが、あの頃は、若かったから、付いて行ったんだな、と思う。その中でも「自己の欠点」と向き合う、これは修業には大切な行為だ。
★欠点とは、悪を習慣的に行なうことで、様々な欠点は、種類は多いが、結局、傲慢(ゴウマン)の1点に集約される、と教えられた。余り自分では分からない。祈りの時の散漫、目上への不従順、むやみに立腹、不機嫌や、モノへの執着、食欲、性欲、人の足を引っ張る、不摂生、あせり過ぎ、無視する、イジメなど、欠点は皆、ゴウマンの子供ですという。すべての罪の親は、ゴウマンだという。
★「欠点を治すには、けがれなき聖母マリアを通して、信頼をもって神の恵みを求めること。それと、治したいと望みを持つことが条件です」と教えた。
★最近は、教会で、「自己の欠点を治しなさい」など直球で聞かない。歳を重ねてきたが、いつまで経っても欠点は残る。失望は、しては、いけない。「自己を律する」ことは、生きている限り変わらないと思う。他人にも迷惑になるだろう。
★年の黙想に当たって、自己の欠点をもう1度根っ子から考えて、治したいと思うのも良い生活の切り替えになるだろう。

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