2019年4月18日木曜日

からだの調子は、どうですか?友人が聞く。理髪屋も聞く

訪問者があった。いい顔、している。アタマの白髪に比べて、少し顔が赤いかな。諫早市に住む阿野さん、おきまりの手みやげ、果物ゼリー箱2つを下げて、突然、自室に来る。
★顔なじみ、「どう?からだの調子は?」の話から入る。「ええ、まあ、なんとか、がんばって、いるよ」しか言えない。阿野さんのアタマがキレイに刈られているのに気がついた。「いい髪、しているね」。この問い掛けから、散髪屋の話になった。「同じ店に20年も通っているよ。同じ店でも、店長も変わった。店の人も変わった。近頃の人は、カトリック信者だった」。理髪店も、最近は会社経営になっているのだろう。料金も安いそうだ。阿野さんは魚や教会やの話をして、私を励まして帰った。
★私は、ホームで、いつもの理髪屋さんにお世話になっている。先日、散髪を済ませた。ホームに来てからだから、5年になる。私の髪をさわりながら、理髪のおじさんが言った。「最近、お体の調子は、どうですか?」。それを聞かれて、ちょっと「エッ」と思った。オドロイたよ。「え?なんで、わかるの?」「髪をさわっていれば、わかります」。触れたら、感じる、やはり職人だな。「体調が、わかるとは、えらいモンだ」。年末・年始は、入院して大変だった。確かに、あれは心身に堪えたよ。
★ホームに居て、常々思うのが自分の生き方だ。いつかテレビの画面で、哲学者が言った。「いま自分は、この時点で、何を成すべきか」。自分への問いかけだ。そのことは、いつも私も考えている。ホームの残された日々に、意義がある、後悔しない生き方はあるのか。自分は、何を果たせばいいのか。哲学者は「その問いに対する答えは、自分の内から出てこない」という。何を、すべきか。「問いかける者がある。その問いかけに、まことを尽くして答えていく。それ以外にない」と。
★私たちの信仰でいえば「み旨のままに、生きる」であろう。「み旨のままに、あるべき姿で、まことを尽くして応じていくのが、私のホームでの人生であろう」。いまは、せいイッパイ生きよう。気力で、甘えずに生きる。それしかアタマに考えはない。
★教会では、今夜7時から「聖木曜日」の典礼となる。ミサ、洗足式がある。いよいよ復活祭へ向けての「最後の晩餐」、「受難の十字架」の儀式が行なわれる。

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