2018年11月2日金曜日

カトリック死者の日。永遠につづく信仰。己の死をも考えよ

なぜか死者を想うとき、50年、70年、昔の故人を思い出す。風景は時代と共に変わるけど、死者はいつまでも若い。思い出は風化しない。
★今日、11月2日はカトリック死者の日。諸聖人の祭日の翌日に祈念するが、歴史は10世紀頃からと古い。ミサのとき、司祭は「死者のために祈ると共に、自分の死についても考えよう」と促(うな)がした。沢山の死者を見送ったが、私のアタマに浮かぶのは両親だ。外海・黒崎の家族の墓標。「トマ・松吉四十六才。クララ・ワサ四十五才」と読める。「トーちゃんも、カーちゃんも、早よう、死んだよ。悲しかバイ」。父の遺体は北朝鮮の土に埋められたままであり、母の遺体は原爆で行方不明。両親の遺骨は無い。結婚写真を分けて入れている。「ホント、悲しいよ」。我は老いるばかり、両親は若死、いつになっても忘れない。
★黒崎の墓地から、黒崎の集落、海岸を見た景色。山肌にこびりつくように、ひっそりとした寂しい集落。カトリックと、今尚キリシタンを信じる家々がある。少年の頃は、ここの空気も吸った。小さな胸に、大きく吸った。今思えば、ジンセイって、何んだ。これまで体験して、助けられて、生き延びて、実際、エン(縁)があり、アイ(愛)の世界であるのを実感した。もう1つ揃うと、3拍子になる。後1つは、何じゃ?と考えると、一時は、タビ(旅)かな?と思ったが、やがて確信したよ。それはイノチや、と。今のイノチ。永遠のイノチ。ジンセイとは、エン、アイ、イノチ。この3拍子でつながれている。
★ホームに来て、ここで、故人となった司祭、修道士を想う。大曾神父、中島神父、谷村神父、中村修道士、村山修道士、ローマン修道士(100歳)、神の御国で、永久に憩い給え。

8 件のコメント:

  1. こんばんは。みどりです。コメントは目をお通しになるとおもいますが、送るまでの段階にテストのようなものがいくつかあり、その写真も不鮮明で困ります。「私はロボットではありません」のチェックくらいで完了することはできないものでしょうか。コメントがアップされると読者は喜ぶと思います。何か良くないコメントがあってブロックされているのでしょうか?

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  2. 書き込めるでしょうか。試しにしています。

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    1. 良かったです。書き込めました(^^ゞ

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    2. ↑の返信は、マルタです。

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  3. 黒崎の集落と遠くの海の見える墓地。遠藤周作氏が愛した土地ですね。あの方はこの土地に葬られたいとおっしゃったとか。しみじみとした感慨を覚えます。

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  4. コメント投稿の手順はもう少しシンプルなほうが良いです。投稿前にテストがあり、その画像も不鮮明で、間違えるとまたやり直しを命じられ、ロボット先生の出したテストに不合格のハンコを押されたみたいです(笑)。

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  5. Google アカウントではなく、その下にある「名前」をクリックして、マルタと書いてコメントすると簡単に出来ると思いますが。私もあまりブログには詳しくないので教えて下されば嬉しいです。

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  6. 縁・愛・命 その重さが分かってきたように思います。

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