2018年11月19日月曜日

イモの絵を描いて、戦争・前後はお世話になったよ。ご馳走だね

なんだか、わかりますか?絵手紙の先生が、「これを描きましょう」と持って来られた。これが描きにくいんだな。色が出しにくい。形も難しい。「戦争中は、よく食べた」と書き入れた。すると、わかるでしょう。
★イモ、です。我々の年代は、サマザマな体験をした。今の若者は幸いです。我々の年代は、苦労して、日々を生き延びるために、おイモさんを頂いた。主食に「これしか、なかったんです」
★父親の実家の外海・黒崎で、戦争中は、おイモさんをよく食べた。農家の人は考えて、イモでも、おいしいイモを沢山作った。黄色いイモもあったし、紫色をした芋もあった。「源氏いも」と名前の付いたイモもあったね。とてもオイシイ、イモちゃんだった。
★聖母の騎士の神学校に入って、終戦直後は食料難で、中・高生の食卓には、イモがよく出ていた。文句を言っても、食べるものは、これしかない。我々の年代で、もうイモを食べるのは、イヤと言う人も居るが、私は、ホームでイモが出ると、喜んで食べる。イモのテンプラも美味しく食べる。我々の年代の若い頃は、イモのテンプラはご馳走だった。
★終戦と同時に、聖母の騎士に入ったので、17歳の少年は、「原爆・被爆者」と差別されなかったし、「食料難」も経験しなかった。愉快に、笑って、学ばしてもらって、信仰もで与えられて、戦後の4、5年は、本当に幸せだった。
★いま、自分が描いた「イモ」の絵を見ながら、「サイワイ、サイワイ」と自分に言い聞かせる。

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