2018年11月1日木曜日

諸聖人の祭日。キリシタン時代から諸聖人たちは信心されていた

教会では、「諸聖人の祭日」を祝います。4世紀頃から殉教者たちを祈念し、8、9世紀から、諸聖人たちを祝ってきた。カトリックは諸聖人や死者との『つながり』を信じている。その信仰は古くから教会に浸透しており、16世紀半ば、宣教師が長崎へ来て、最初に造った教会は、諸聖人に捧げられた。
★1969年、アルメイダ修道士が長崎へ来て、桜馬場の地から宣教を開始する。信徒が増えて、この地の領主も洗礼を受けて、初めての教会が、トードス・オス・サントス(諸聖人の教会)と呼ばれた。このように当時から「諸聖人」は信心されていた。聖コルベ館に居たときは、週何度も、桜馬場の通りを車で、すり抜けた。だからこの教会跡は身近に感じる。載せた新聞の写真は、貴重な風景です。
★今から35年はど前に、地元のガイドに案内されて、最初の教会跡=トードス・オス・サントスを見学した。今、見学は可能か不明だが、教会跡=春徳寺は図のようになっていた。
★諸聖人の教会、敷地内には、セミナリオや、コレジオのキリシタン学校が置かれ、印刷所もあり、キリシタンの文化は栄えた。教会は45年間ほど続いたが、禁教令のため破壊され、現在の「春徳寺」という禅寺が出来る。
★私がお寺を見学した時の図。(イ)アルメイダ修道士の宣教の石版の碑。(ロ)キリシタン時代からある巨大なクスの木。(ハ)教会・コレジオ跡の碑。1569年に教会が出来た。長崎の開港は1570年になる。(ニ)春徳寺は臨済寺の禅寺。(ホ)長崎奉行に殉じた忠義な家来の墓。(へ)キリシタン時代からの南蛮井戸。(ト)大理石の祭壇のような(マカオ座)板一基。(チ)池にカメの形をした島。(リ)代官、末次平蔵の墓。(ヌ)歴代住職の墓。有名なのは鉄翁和尚で、南画山水をよく描き、殊にランの絵は素晴らしかった。
★高山右近も諸聖人の教会に寄って、祈って、マニラへ出発した。潜伏キリシタン関連が世界遺産になった今、長崎を訪ねるならば、この地にも行くことを勧めます。
★あの頃の信仰も、今の信仰も、変わっていない。ただ燃える熱意は、どうなのか?

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