2018年9月30日日曜日

出津・文化村へ。遠藤周作先生との出会いの思い

山梨の渡辺幹雄さんのおかげで、久しぶりに外海へ行った。そよ風に吹かれ、気分上々、子供の頃を思いめぐらす。背景の出津集落。今は文化村と呼ばれている。
★少年の頃の思い出。原爆・終戦の1ヵ月後、黒崎の父親の生家に帰り、被爆した身体を休めた。体に得体(えたい)が知れない吹き出物が出て、出津の医者に通った。原爆の影響であろう。心細かった。
★黒崎の生活は1ヵ月で、聖母の騎士に入る。出津まで歩いた思い出もある。当時、出津教会の主任司祭は中島万利神父さま。聖母の騎士のミロハナ神父は戦争中、抑留され、外出禁止だった。戦争が終わって自由になり、初めて訪ねたのが中島万利神父だった。ミロハナ神父から「中島神父さまの所へ連れて行って欲しい」と頼まれる。バスも船もなく、2人は長崎から徒歩で1日中歩いて、出津まで案内した。その後も、中島神父さまが主任の時、長崎から船便で、神学校のため芋や野菜を貰いに行った。
★当時は、ド・ロ神父の偉業も知らなかったが、地元の坂本仙太郎や、田中用次郎さんの説明で、ド・ロさまの素晴らしい足跡を教えられる事になる。騎士誌に記事も書いた。
★外海といえば、遠藤周作先生との出会いも貴重な体験となる。「沈黙の碑」も出津に建った。遠藤先生は作品「女の一生・第二部」で、コルベ神父の事を書いた。大浦周辺を案内し、資料を差し上げ、「大変、役に立った」と喜ばれた。
★「彼は愛の狩人だった。愛を求めて日本へ来た。そして愛のため失敗もした。愛のため傷つきもした。しかし最終的には『友のために死す』愛を完成した。それを若い人たちに教えるべきですよ」
★山梨の渡辺幹雄さんにはお世話になった。車の中で私は言った。「旅の目的は3つある。第1は、ホンモノを見る。本や教科書で見たものを本物で見る。第2は現地の人との出会い。第3は、旅によって自分が好転する、ことですよ」