2018年9月27日木曜日

せい一杯、咲きました。それだけで、じゅうぶん


月下美人が夜中に咲き、1夜あけた朝の花が、左です。まだ、ふくらみは少しある。右は、1日経った今朝の月下美人の姿です。精魂、使い果たしたという感じです。これで、月下美人は葉から芽が出て、ふくらみを帯びて、夜中に満開の花を開かせて、1日経ったら、しぼんでしまう過程を日記で記録した。もう、月下美人はこれで打ち上げにしましょう。ほんとに、月下美人よ、ご苦労さまでした。
★アシジの聖フランシスコの祭日の前に、9日間の祈りが始まった。湯江教会の祭壇の横に、聖人のご像が飾られて、祈りの時は、灯がともされている。聖フランシスコに憧れたのは「貧しさ」だった。17歳で、爆弾工場に通ってた時、いつも通る道に、2階建ての豪華なお屋敷があった。(自分も先々では、こんな立派なお屋敷に住みたい)と憧れていた。
★ところが原爆の日の昼過ぎ、この道を通ると、哀れ屋敷は崩れ、庭は泥まみれになり、ご主人らしい男性は、破れ、汚れたシャツを着て、石段の上に膝を立てて座り、黙して語らずの姿を見た。数日して又通ると、そのまま死んで腐敗がすすみ、蛆虫に食われていた。その姿に17歳の少年は衝撃を受ける。「いくらお金を貯めても、屋敷を築いても、人間は儚(はかな)い。本当のものは何か。真理は何か」。腕白盛りの少年でも、その印象は新たな価値観へと変えた。
★ポーランド人たち修道者たちの中に飛び込む。コルベ神父が残した修道院には「貧しさ」が有った。それは心地よさを感じる「貧しさ」だった。コルベ神父が本河内に最初に建てた家は、もっと貧しかったらしい。その家はもう無かったが、新聞記事が残っている。取材した記者は書いた。「ニワトリ小屋のような建物に、世は歓楽の春というに、本能として突き上げる欲望の悶えはないのか」
★17歳の少年は、20、30、40と過ぎて、老いぼれになって90になった。振り返って言えることは、人間は、さまざまな誘惑との闘いだった。
★いま早朝、4時半に起きて、6時からのミサで祈るとき、御聖体を拝領して自分の席に戻ったときに、最近は特に、目を閉じてアタマを垂れて、ジーッとしている。何かが、胸を揺るがすのを覚える。
★『トマさんのことば』人間やから、な。どんな事でも、あり得る。せい一杯、生きました、と言えれば、人間には、それだけで、充分です。