2016年5月28日土曜日

被爆の日記を読みながら、核兵器廃絶を叫びます

「オバマ米大統領・広島訪問」。今朝の新聞の一面に、大きな字が躍っている。それと並んで、「被爆者と対話」という字もあった。「被爆者」が一面に、デカッと、取り上げられる日だった。
★被爆者も老いて、姿を見るのも少なくなった。わたしは、17歳。当時から、メモするのが好きだったのか、原爆の日から日記を書いている。4日目に、隣の家族の、6歳の女の子が死に、次に、3歳の女の子が死に、13歳の男の子が死に、58歳で、祖父が死んでいる。日記を見て、当時を思い、「あまりにも悲惨だった、な」の感慨しかない。
★長崎の原爆資料館で、小・中・高の若者たちに、「原爆の体験」を、10年ほど続けたことがあったが、本当に、「原爆の怖さ、恐ろしさ、酷さ」が伝わっただろうか、と今、思う。
★被爆者も老いて、ますます居なくなる。「爆風、高熱、放射能」。原爆中心地から、2・3Kmのトンネル工場で被爆したが、すぐ爆心地から、500mの家まで帰った。歩いて、30分。そのときは、5時間かかった。17歳の年齢だから、現実をよく覚えている。トンネルから出た瞬間が最もおどろいた。入る前は、緑の山、田畑、家々があったのに、出て見ると、全く風景が変わっていた。燃える山に、家々。死傷者たち。破壊と、火と、煙のなかを恐怖で、歩いた。
★「二度と、こういう風景を作ってはならぬ。核の廃絶は人類の叫びだ」