2015年8月11日火曜日

贈りつづけるお花に感動。平和を語りついでいく

ここ10数年間、毎年、原爆の日、母の命日になると、豪華なお花が届く。今年も届いたのが、このお花です。北九州の、お母さんと、娘さんの名前で、届くのです。お部屋に飾りました。母の冥福を合わせて祈りました。北九州の母娘とは1つの物語がある。忘れることの出来ない思い出です。
★娘さんが小学六年のとき、修学旅行で長崎へ来た。私はその頃、原爆資料館で、原爆の語り部を努めていた。私の話を聞いた娘さんは、中学生になったとき、平和を願って、「毎月、100羽づつ折鶴を織るから、原爆中心地に飾ってほしい」との折鶴が送ってきた。「10ヶ月で、1.000羽を織り上げます」というのだ。そこで私が提案した。「原爆中心地に飾るのも、いいが、それを原爆老人ホームへ持って行き、1ヶ月、1人づつのお年寄りさんに贈る。10ヶ月になれば、10人の老人さんのお部屋に飾ることになる。どうでしょうか」。時は2000年の9・11の年だった。
★中学生の娘さんは、毎月、100羽を送り、1.000羽完成の日には、お母さんと中学生が最後の100羽を持参して、原爆老人ホームを訪ねて、10人のお年寄りさんと喜び合ったのだった。その頃から、私の母の命日、原爆の日の前に、必ずお花が届くようになった。
★こんなに長くつづくのは感動ではないか。普通にある話ではない。私がホームに来ても、お花は届いた。あれから何年が経つだろうか。娘さんは高校を出て、就職し、結婚して、子どもも出来た。平和をつないでいく心に変わりはない。今年、届いたお花には、1枚の写真(2人の子どもが満開のサクラのしたで、向き合って、笑っている)と、次のコメントがあった。「衣里(娘さん)の長女の通う小学校の校庭に、城山小学校(長崎の原爆被害を受けた学校)の嘉代子桜があります。小さな苗木が卒業する頃、どの位大きくなるのか楽しみです」