2015年3月9日月曜日

出来ないよ。でも、お願いします。どうしても、やるの

元気な頃に、毎月1度は、島原半島の小浜(おばま)温泉へ通っていた。その通り道に、小さな赤い屋根の教会がある。ポーランド人の神父さんが教会と幼稚園に勤めていて、親しくしていた。★もう、2,3年まえの話になるが、ポーランドから神学生の映像班が取材に来て、そのついでに私に引き合わせたことがあった。原爆に興味があったのです。原爆の当日、母と別れて、工場で被爆。その日の行動、17歳の少年がどのように生きたか。①「助けなかった」。②「助けていたんだけれども、困難が来れば、逃げた」。③「仇なる人間を許さなかった」。この3つの体験が、自分の人生を今まで貫いてきた。誰にでも、ある。特に、許す、というのが難しい。そのようなことを語って聞かせた。それを解決した人が、ポーランド人宣教師のコルベ神父であった。彼はアウシュヴィッツで、「助けた」「逃げなかった」「ナチの兵隊までも、温かい目でみた」。そこに人間の希望がある。この話を赤い屋根の神父さんは通訳しながら、よっぽど、心に残ったらしい。★昨年の頃から、神父さんが、会う度に、「話を、お願いね」と、繰り返すようになった。自分は何のことやら、わからず、「ジョウダン、としか思っていない」から、笑い流していた。ところが、2月の半ば頃であった。わざわざホームの自室にきて、教会の黙想会のとき、「話をお願いします」よいう。「なんの、はなし?」「逃げたこと、許さないこと、ほんとうの話、一番心にひびきます。あれ、はなしをしてください」。あらたまってお願いに来られて困惑した。「お断りします。修道士がお話できません」。断った。首を横に何度もふりつづけた。ても、「いや、いや、実話が一番、心をうちます」と、ゆずらない。「いいのかなあ」。不安も、不信もあります。ここで断ると、かわりの司祭を見つけないと、いけないでしょう。とうとう折れて、いいのかなあ、と半信半疑、思いつつも、首を縦にふってしまった。★果たして、みなさんに、霊的に、信仰的に、お話しができるものか、大きな課題で悩んでおります。3月22日、日曜日が、その日です。ホームにいても、いろいろ、あるんですね。写真は、ホームの庭に咲いた椿です。この辺りを散歩する。