長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2015年3月25日水曜日
まだ、桜は2部咲きです。それでも出かけました
ホームには「野外活動」というのがあって、午後から、10人乗りのバスが出た。千々石(ちぢわ)ミゲルのふるさと、千々石の橘公園へ向かった。桜の名所で、有名です。島原半島の、すぐに入った海岸にある。桜は2部咲き。あしたから、桜まつりが始まるという。橋を渡って、出店の前をぬけて、右手に登ると、さくら林がつづき、山の上に、小さなお城がある。ミゲルはここで育ったのであろう。天正少年使節、4人の一員として、遠くローマ、スペインへ巡礼の旅をした。地元では、明治の海軍の橘中佐が有名だが、ミゲルのことも、じょじょに知られて、看板も立っていた。★きょうは、お告げの聖マリアの祭日をお祝いした。朝の聖務と、ミサでお祈りした。信仰とは、何だろう。心の整理がつかない。小さな願いがかなったから、お恵みに感謝する。人のために尽くせば、喜びもある。日々の積み重ねに、神さまの愛が働いているのを見落としてはいないか。ローマから帰ったミゲルの生涯を思うと、自然と、大きな呼吸が1つでた。
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千々石ミゲルは遣欧使節の正使でありながら信仰を捨ててしまわれたのですね。ヨーロッパで日本人を始めとするアジア人の奴隷を見たのがきっかけではないかと言われていますが本当のところはわかりませんね。現実と信仰との折り合いがつけられなかったのでしょうか。☆昨日うちの教会の野嵜神父様が自宅に来られました。パパ様も日本の司教団も「政治に口出し」ではなく、良心に照らして、戦争反対、原発反対を表明されておられることに話が及びました。昨年12月には一日だけですが私は選挙カーに乗り自分の意志を世間に表明しました。もう「隠れ」では良心が咎めるようになりました。
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